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約束

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 私は夏がとっても大好きだ。暑い太陽、山、海、それを楽しむ夏休み、そう、それも好き。だけど、私が夏を好きなのは、あの花が咲くからだ。その花の名は――朝顔。そして朝顔を眺めるといつも自分の夢を思い出す、幼稚園の先生になるという夢を。

「今日も元気に咲いてるね!」
夏とはいえ、朝方のやわらかい光の中、私は職場の玄関脇に咲いている早咲きの朝顔に向かって声を掛けた。ここが私の職場――ここが私の勤める幼稚園。そう、私は念願かなってこの幼稚園に今年採用されたのだ。
「さあ、今日もがんばるぞ!」
夏バテ気味の体をはげましてから、私はまもなく到着する園児達を迎え撃つべく建物の中へ戻った。

 「あなたと歳は同じくらいだと思うんですけどね、でももしかしたらもっと若いかもしれませんね」
 年長組を受け持つ先生がお茶を吹いて冷ましながら私に振り向いて言った。子供達は昼寝中、先生達は昼休み、というわけである。
 夏休みの前の最後の行事として、明日手品ショーを園児達に見せることになっているのだが、その主役の魔法使いさんが今の話題の人である。
「前の園長先生の紹介で、そう、ちょうど二年、二年前から来てくれてるんですよ」
 彼女(その魔法使いさんは女の子だそうである)はボランティアでショーをやってくれているそうだ。いや、実はいくらかの謝礼はしているのだが、何しろ園児達に配る(これも手品ショーの一つ)プレゼントの量からすると割に合わないらしい。園長先生はいつももっとと給金を出そうとするけど笑って受け取らないという。曰く、子供達の笑顔が何よりの謝礼だと。
「年に二三回来てはやってくれてたのだけど、ちょっと都合があって、今回が最後になるんですって。残念よね。実は、私も毎回とても楽しんでいたのに」
本当に心から残念そうに言うと、先生はお茶を飲み干した。
「そうそう、名前はね、もちろん芸名、ボランティアみたいなのに芸名っていうのもおかしいでしょ、でも本名を実は誰も知らないのよ、教えてくれないし、連絡も向こうから一方通行でしてくるし。で、その名前がね、スイム・ミカゼっていうの。水の夢、魅力の魅に風」
水夢魅風。この名前を聞いただけで私もなんだかワクワクしてきた。

「櫻井先生、外の様子はどうでした?」
「どうも暴風雨になりそうですね」
「やっぱりねえ」
「え?」
「あの魔法使いさんが来る日はね、どんなに天気予報で快晴です、って言ったって雨が降っちゃうのよ。でも今日は予報が元々雨でしたからね」
 空は黒い雲で覆われ、小雨が降り続いている。風も段々と強くなっている。園児達はバスや近所から親の送りで来るので濡れる心配は無いけれども、私は朝顔の花とつぼみがみんな飛んでしまうんじゃないかと思って少し悲しくなった。
 園児達はもうお遊戯室にみんな入っている。後は魔法使いさんが来るのを待つだけだ。私は玄関に出て、案の定嵐になった空の下、巻き付いている棒ごとゆれる朝顔を心配しながら、魔法使いさんが来るのを待った。と、前庭の前の道路を黒ずくめの人影が歩いてくる。この激しい雨と風の中、その人影は傘もささずに歩き、幼稚園の門を通ってこちらへやって来た。黒い大きなトランクを二つ両手に持ち、胸の前で合わせたマントを風にたなびかせて、黒い靴に黒いパンツをはいている。黒い長い髪は風に舞い、頭の上の鮮やかな赤いリボンのついた黒くてつばの広い帽子は、手で押さえてもいないのに飛ばされる気配はない。まさしく魔法使いね、と思って私は内心笑ってしまった。
「こんにちは」
「こんにちは、水夢魅風さんですね、…あら?――この天気なのに濡れていない――?」
そう、そうなのだ。傘もささずこの風雨の中を歩いて来たはずなのに、少しも濡れていなかったのだ。トランクを置いて、帽子をとって笑みを浮かべながら彼女は言った。
「フフ。魔術師にはこれくらいお手の物。さあ、行きましょう」

 私はもう関心すると同時にあきれてしまった。あれだけの量のマジックの種をいったいどうトランクに仕込んできたのだろう。変なところで関心しちゃったが手品の方も素晴らしいものだった。いつもはやんちゃで騒がしくてそれでいて妙にすれている園児達も、今日ばかりは息をのんで見つめている。もちろん先生達も。時は瞬く間に過ぎ、園児達に小さなプレゼントが配られ(本当に、どこに用意していたんだろう)とうとうお開きになってしまった。

 本当は魔法使いさんと少し話をしてみたかったのだけど、予想以上の暴風雨に、これ以上園で園児達を預かるよりは帰した方がいいだろうということになり、歩いて通っている園児の親へは迎えに来てくれるように連絡したり、バスで通っている園児の親にはこれから帰します、と連絡したりと、何かと忙しく、挨拶だけですませてしまった。
 雑務を終え、先生達も早めに帰ったほうがいいだろうということで、まだ続いている暴風雨の中、幼稚園を後にして私は駅へと歩きはじめた。
 住宅街の中の不必要に広い道路沿いに、かなり広い公園がある。その公園を通り抜けると駅への近道なのだが、雨で水たまりが出来ているだろうから、今日は通るのを止めようか、などと役に立たない傘の中で考えていたら、公園口に立っている人影に気付いた。
「櫻井…園子さん?」
「はい?」
あの魔法使い――水夢魅風さんだった。

 コンクリートの椅子にコンクリートの机、そしてその上に木の屋根をつけた休息所に私と魔法使いさんはいた。
「あの、何で私の名前分かったんですか?」
魔法使いさんはそれには答えず、無表情のままこう訪ね返した。
「あなた、朝顔は好き?」
「え? ええ」
「そう、それはよかった」
魔法使いさんはニッコリと微笑んだ。
 そしてその瞬間私はそこにはいなかった。

 私の家は六人家族だった。父と母とおばあちゃん、そして兄が二人。兄二人は私とは歳が離れていて、私が小学校に入る前にもう中学生だった。父と母は伴に働いていたのだが、私は珍しく保育園にも幼稚園にも入れられなかった。おばあちゃんがいるから大丈夫だろうと思ったのか、それともなにか別の理由だったのかそれは分からない。ともかく、そんなわけで私には遊び相手が少なかった。

 私の家の近所には幼稚園があって、私はよく園児が遊んでいる光景を見に行っていた。大勢で遊んでいるのがうらやましかったのだ。日曜ともなると、園児達がいない園庭に入り込んでよくブランコやすべり台で遊んでいた。
 ある雨上がりの晴れた日の午後だった。私は長靴を履いていつものように幼稚園に来ていた。そこで私は不思議なことを見た。園児達に囲まれて立っている女の人。幼稚園の先生でないのは一目で分かる。その女の人は、真っ黒なマントをはおっていたのだ。そしてそのマントの中から次々と小さなおもちゃを出しては園児達にプレゼントしていた。私にはすぐわかった。この女の人は魔法使いなのだと。
 プレゼントをもらった園児達は迎えに来た親に連れられて皆ニコニコと帰って行った。後にはぼーっとしている私と、魔法使いさんだけが残った。魔法使いさんが私を見て微笑みながら言った。
「園子ちゃん――でしょ?」
「うん」
私はびっくりして思わずうなずいていた。魔法使いさんは、園庭の外のフェンス越しに見ていた私の所までゆっくり歩いてきた。そして私の目の前にしゃがむとこう聞いた。
「園子ちゃんは何が欲しいのかな?」
私はとっさに黒のマントを指さして言った。
「これ」
「あらあら残念。これはあげられないなあ。他には?」
「いちまんえん」
魔法使いさんはクスクス笑い出した。しかし私には、黒いマントの他にとりあえず何でも出せるものとして思いついた精一杯のものだった。
「じゃあ園子ちゃんにはこれをあげようか」
そう言って魔法使いさんが私の手に握らせてくれたもの――それは何かの種だった。
「何、これ?」
「これはね…」
魔法使いさんは種を一粒フェンスのそばの土に撒いた。すると、見る見るうちに目がでてフェンスにつるを巻いてのびていき、そしてあっというまに淡くきれいな紫の花を咲かせたのは朝顔だった。
「すごい」
「きれいでしょう。あなたにあげたのはこんなに速くは咲かないけど――そうね、今撒いて毎日水をあげてあげれば夏にはきっときれいな花をつけるでしょう」
「ありがとぉ」
「どういたしまして。――ところで園子ちゃんは大きくなったら何になりたいのかな」
「えっとね、幼稚園の先生」
これはもう、前から決めていたことだった。その理由はもちろん、毎日楽しく遊べるからだ。
「そう、じゃあ園子ちゃんが大きくなって幼稚園の先生になったらまた会いましょ。そしたら、そのときこの朝顔の花よりももっときれいなものをプレゼントしてあげる。約束だよ」
「うん、約束する」

 私は喜んで家に帰り、種を撒いて誰彼と無く魔法使いさんのことを話した。無論誰も信じなかったが、毎日水をあげたかいもあって、あの日見たのと同じように朝顔は見事にきれいな花を咲かせた。そして私はまだ見ぬこの朝顔よりきれいなものに思いを巡らすようになっていたのだった。

 すっかり忘れていた。あの、朝顔の花の出来事は夢だと思っていた。でも私は幼稚園の先生になっていた。それはあの日の約束を果たすためだったのだろうか?
 頬にあたる風の冷たさに私は目を開いた。そしてその目の前には、あの魔法使いさんが静かに微笑んでいた。
「あなた――あなたは一体――」
「あなたが約束を守ったから私もこうしてあなたに会いに来た。さあ、あの日の約束どおり、あなたにプレゼントをあげよう。目をつぶって」
「あなたはあの魔法使いさんなの?」
「目をつぶりなさい。そして、風が止むまで目を開けてはだめ」
 私は目をつぶった。次第に胸が高鳴っていく。風は少しずつ弱まっていき、そう、二分もたっただろうか、あれほどまでに吹いていた風はすっかり止んでいた。
 頬に暖かい光を感じ、そろりそろりと目を開けると、もう、そこにはあの魔法使いはいなかった。そして目の前の広い空はすっかり雲が消え、青い空が広がり、そこには、今まで見た事もないくらい大きな、そして美しい虹がかかっていた。

 

(1991/5/13)

 

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