index >> 小説置き場「悪夢は」 >> 嘘、大げさ、まぎらわしい

 

嘘、大げさ、まぎらわしい

--

 緊張するなー。今日から教生だもんな。高校行くのなんて六年ぶりだよ。一時間前には着いていないとな。  あれ、そういえばこの隣に座っている娘(こ)も教生に行く先の制服だ。こんなに早く登校するなんてえらいなぁ。部活かな。
 って緊張して分からなかったけど結構この車輌高校生がちらほら座っているな。
 この娘、教科書開いてるな。受験生かな? それにしては幼い顔立ちだけど……おお、教科書にペンでマーカーひいて緑色の下敷きみたいので隠して暗記するのってまだあるんだ。俺は教科書が見苦しくなるのが嫌でやらなかったけど……?
 なんだこれ? 透明な下敷き? で真っ黒になって見えない?
「うーん、分かんないなあー正解はっと」
彼女が透明な下敷きをずらすと、教科書は黒いサインペンで塗りつぶされていた。
「そっかー、正解は『うまづらのみこ』かー」
「なんでやねーん!!!」
俺は思わず手の裏で彼女につっこんでしまった。突っ込んだ拍子に手の裏が彼女の胸の脇に少し当たってしまった。しまった、と思ったがもう遅かった。しかし彼女は気にするわけでもなしに言った、
「くす。やっと突っ込んでくれましたね。私、なんだかみんなから無視されてるみたいで、ボケても誰も突っ込んでくれないんですよ」
「え、あ、そうなの?」
どうやら手が胸をかすめたことには気付いていないようだった。ほっとしていると、彼女が聞いてきた。
「大学生ですか?」
心なしか周りの気配がおかしい。こっちを見たそうだが絶対に見ちゃいけない的な雰囲気なのだ。
「えっと、大学院生、だけど、今日は高校の先生。今日から君の高校の教生に行くんだ」
「わあ、偶然ですね、私一年生だから、私のクラスの受け持ちになるといいなあ。あ、私不触真理香(さわらずまりか)っていいます」
「え、あ、俺いや自分、いや私は遊塚将樹(ゆうづかしょうき)。です」
「くす。あ、学校前駅に着くみたいですよ。それじゃ、先生、また」
「ああ、はい、気をつけて」
一緒に行くわけにも行かず、電車を降りてから別々に階段を上っていった。
「不蝕さん、か」
なぜか周りの視線が突き刺さる。
「気のせいかな」
気にせず高校へと急ぐ。

 まだ彼はきづいていない。なぜ誰も彼女に突っ込もうとしないのかを。

「えー、今日から二週間教生先生をやってもらう、遊塚先生です。じゃ、先生、挨拶を」
 高齢の担任教師が紹介してくれる。
「あー、今日から「あー!!!」」
なんだなんだ! いきなり甲高い叫び声が響き渡る。声の主を見ると、不蝕さんがいた。
「今朝私の横乳触った人だー!」
「え」
「え」
「えー!!!」
一気にざわめく教室内。やっぱり気付いてたんだ。っていうかこのタイミングでなんで言うんだ。血の気が引く俺。もういきなりだめかもしれない。
「ちょっと静かに! 静かにしなさい。遊塚先生、不蝕の胸を揉んだというのは本当ですか?」
「ちょ、ちょ、なんで揉んだことになっているんですか! さっき不蝕さんは触ったって」
「揉んだも胸から手を入れたも同じことです! このことは後で話合いましょう。ともかく、皆さん静かに!」
さすがに進学校だけあって聞き分けはいい。だがまだひそひそと声が聞こえる。「胸から手を入れて揉んだんだって」「いやもう突っ込んだらしいよ」

「遊塚さん。いきなり問題ごとを起こしてもらいましたね。しっかりと説明してもらいましょうか」
一限目が始まる前の短い時間に学年主任の前に立たされる。進学高校にしては珍しい女性教師だった。
「遊塚さん。言うまでもなく三年生は受験勉強の大事な時期です。それをよりによって屋上へ連れ出して、ら、ら、乱暴しようとするなどと」
「ちょ、ちょ、なんで俺がそんなことするんですか! 三年生? 私は教生だから一年生が受け持ちですよ」
「ですからおかしいと言っているんです! ともかく、今は時間もないし、この話はミーティングできっちり話し合いましょう」
誤解が解けぬまま解放される。足取り重く、担当の先生とともに数学の授業へ向かう。もちろん結果は散々だった。

「遊塚先生」
ぎくっとして振り返る。昼休み、控え室へ戻ろうとした廊下だった。今日一日廊下での生徒達からの視線が痛かった。しかし、女の子の声ではなかった。不蝕ではないようだった。
「先生のあれ、嘘でしょ?」
「信じてくれるのか!」
「うん、俺も前ひどい目にあった。不蝕に関わると、ろくな目に遭わないよ。それであえてみんな不蝕の奇行には突っ込まないようにしてるんだ。だけど、一旦話が転がりだすと、それはもうでかくなって……今、先生、学年主任を妊娠させたことになってるよ」
おお神よ。なんてこったい。
「ともかく、ほとぼりがさめるまで、誤解を解こうとしないで大人しくしていたほうがましだよ」
「ああ、忠告ありがとう……」
ミーティングさえ、なんとかしのげば……。

 次の日。重たい気分で電車に乗って、一心不乱に窓の外を見ていると、隣に誰か座る気配がした。まさかな、まさかな。
「お早うございます、遊塚先生」
来たー。無視無視無視無視。
 意外にもこちらが無視していると大人しく教科書を広げていた。
「……インド独立の父は……ビンラディン……」
「ガンジーだろがー!」
しまった、と思ったときにはもう遅い、反射的に突っ込んでしまった。幸い手は出していない。しかし、周りの視線が一斉にこちらに集まった。
「ガンジー?」
「ガンジー?」
「ガンジー!?」
「ガンジー!」
あたりがざわめく。そしてどこかへ電話を始めたり、検索を始めたりしている。
「先生、やっぱり、ガンジーですよね」
にっこりと不蝕が笑う。
汗がたらりと頬を伝う。

  打ち合わせのために職員室に入ると大騒ぎになっていた。
「どうしたんですか?」
「混迷していた日本の首相選が終わったんだよ、首相は主権在民党のマハトマ・ガンジー氏に決まったらしい」
 俺は声も出なかった。

 

(2010/9/20)

back