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天使の翼

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 たとえ真夜中であろうと街が眠ることはない。街路には絶え間なく車が流れ、空はネオンで照らされ、もはやこの都市には暗闇は存在しない。だが、さすがにこのオフィスビルの立ち並ぶ地区には今人通りは無かった。
 二十階前後のビルが車一台通れるくらいの細い道をはさんで建っている、その道に人影があった。その人影はあたりを見回し、人がいないことを確かめると、身をかがめ、ビルの隙間からわずかに覗く夜空を見上げて、跳躍した。驚くべき事に、一回の跳躍でビルの四階ほどの高さまでその人影は飛び、ビルの壁面を蹴り、わずか数回の跳躍で目的のビルの屋上に降り立った。ポニーテールの髪が夜風になびいている。志道祥子。

 屋上は―警備装置は無いようだった。ビルの内部へ入る扉の前へ立つ祥子。右腕の袖をまくりあげると、触手群を伸ばす。一本のひものように見えるそれは、微細な糸、触糸の束である。それを鍵穴、そして扉のごくわずかな隙間から侵入させる。感覚器でもある触糸が、監視装置の存在を感知する。触手群で鍵を開けながら、監視装置に欺瞞情報を送り込む。ごく簡単な作業で、数分もかからなかった。

 "やつら"はあらゆる場所へエクスバイオーグを送り込むつもり、あるいはもう既に送り込んでいるはずだ、と兵藤は言った。そして、祥子にある場所を示し、この会社が一つの手がかりだ、と言った。規模は小さいが、確かに組織の末端の一つだ、ここを探れば必ず何かつかめる。行ってみるか? 兵藤の目は、だが、問いかけではなく命令だ、ということを示していた。
 確かに、行くしかない。何も分からず、ただ身をひそめ、怯えているよりはよっぽどましだ。たとえつかんだしっぽが小さくとも、その先には必ず巨大な本体がいる。情報網に侵入して敵の全容を暴いてみせる。

 いくつかの警備装置をあざむいて、祥子は目的の会社のサーバールームに侵入した。祥子には、会社組織のことは知ったことではなかったが、この規模の会社にしてはやけに厳重な警備がしかれた、大きなデータルームのような気がした。
 端末の一つに触手を伸ばす。どうやればそれらから目的の情報を引き出すことが出来るのかを、祥子自身は知らない。しかし、無意識に、そして勝手な生き物のように(いや、実際それは、"右腕"はこの体に住む第三の自律生物ではないかと祥子は思っていた)触手群は端末のあらゆる隙間から侵入し、端子に接続した。祥子は方法を"知っている"のだ。"あの施設"で覚え込まされ、体のどこかに知識が蓄積されているのだ。

 自分の能力にぞっとしている暇は無かった。不意に高速で統合されていない圧倒的な量の情報が自分になだれ込み、祥子はそれに比べたら取るに足らなくなった五体の感覚を消失した。やがて情報は整理され、意味のあるものとして認識され始めた。そのとき、何か一瞬かすかなきらめき―あるいは何かごく小さな壊れやすいものを踏みつけたような感じがしたが、やがて情報の波にのまれてしまった。

 祥子が受け取った情報は、兵藤の言葉を裏書きしていた。まさにやつらはあらゆる場所へと入りこんでいるのだ。企業、マスコミ、警察、政界・・・。だが、肝心の、もっとも重要な情報を見つけることが出来なかった。組織の規模、拠点、そしてその目的・・・。巧妙にブロックされているか―あるいは初めからここにはそんな情報は入っていなかったのか。

 何時間たったことだろう。不意に何かの気配を感じて祥子は自分の生身の五感を取り戻した。暗い室内に、コンピュータの明かりだけが不気味に灯る。広い室内には、祥子以外誰もいない。だが、確かに何かが―誰かがいる、本能がそれを告げている。目を凝らし、耳をすます祥子。熱は? 感知できない、祥子とコンピュータのそれを除いては。だが、左目が・・・かすかなゆらめきを見つけた。その空間のゆらめきは、確かに人型をしていた。

「誰だ! そこにいるのは!?」
「ふっ」
 あざけるような鼻笑いとともにそのゆらめきは密度を増し、不透明になっていき、人の形を浮かび上がらせていく。やがてそこに現れたのは―
「二階堂陽香!!」
 祥子と同じ顔を持つ、具現化した悪魔がそこに立っていた。
「待ちかねたよ、祥子。情報をリークして方々に網を張って待っていた。ようやくお前がかかったというわけだ」
 コンピュータの放つわずかな光が陽香の顔の不敵な微笑みを浮かび上がらせていた。彼女は右手に持っていた、ゆるやかに弓なりに反った"棒"を体の前で両手で握り構えた。
「ここがお前の墓場だ!!」
 陽香は椅子に座っていた祥子に打ちかかって来た。弾かれたように椅子から飛び出し、祥子はよける。陽香の棒(ロッド)は、祥子が作動させていた端末とディスプレイを砕いた。小さな火花を出して、それは沈黙する。続けて祥子に向かって陽香は真横に薙ぎ払って来た。祥子は背負っていたヒートロッドを抜きざまに陽香のロッドを受けた。鈍い音が響く。その瞬間―陽香のロッドの弓なりにそった先端部と握りのすぐ上の根本との間で激しい雷光のようなスパークが走り、青白いエネルギーの刃(ブレード)を形成した!
「ライトニング・ブレード!?」
 しまった―当然そう考えるべきだった! 祥子にもその武器には見覚えがあった。祥子のヒートロッドの数倍の威力を持つエネルギー・ソードだ。
 すぐに後ろに飛びのく祥子。が、机にぶつかり転んでしまう。陽香のライトニング・ブレードがそこを襲う。ころがりよける祥子。陽香のブレードは机を真っ二つに切り裂いた。たちまち火の手が上がる。
 飛び起きながら、祥子はヒートロッドのエネルギー放出スイッチをONにしてさらに最高出力のレベルに合わせた。幸い、エネルギー・ブレードにさらされていた時間がごくわずかだったので損傷は少ないようだった。だが、最高出力のヒートロッドでも、もしまともに斬り合えば―?
 ヒートロッドは最大エネルギーを帯びるまで時間がかかる。それまで時間をかせごうとする祥子に陽香は容赦なく斬りかかって来た。 あちこちから炎が吹き上がる。祥子は窓際に追いつめられた。
「死ねー!!」
 上段から勢いよく振り下ろされたライトニング・ブレードと、それを受け止めたヒートロッドが激しくぶつかり合う。ライトニング・ブレードの青白いエネルギーとヒートロッドの赤いエネルギーが干渉し、激しい電光が発生して二人の体に降り注ぎ、服を焦がす。
 数秒後、祥子はもうヒートロッドが持ちこたえられないことを知る。陽香に回し蹴りを見舞うと、ライトニング・ブレードを横へ受け流して、ヒートロッドを捨て、すぐに、左腕のソードを展開する。
 下から斬り上げて来たブレードをソードで受け止める祥子。ソードの予想外の硬度に驚いた陽香の一瞬の虚をついて、祥子はライトニング・ブレードを蹴り飛ばした。
「ちぃ、この、やってくれたな!!」
 陽香は左手の掌で祥子の顎をなぐり、さらにそのままのどを掴んで窓に思い切り叩きつけた! ブラインドはちぎれ飛び、強化ガラスも粉々に砕け散りはるか下方の地上へ吸い込まれていった。
 陽香はそのまま祥子を地上へ叩きつけようとするかのごとく、窓の外に押し出す。
「このまま首を握り潰してやる!」
 ソードで陽香を突こうとするが、右手でがっちり押さえられてしまう。首に加わる恐ろしいまでの強大な力が祥子に死を予感させた。そのとき―祥子の頭頂部で何かが動いた。陽香がそれに気づいたとき、それからするどい光が走り、陽香の右目を焼いた!
「ぐ!?」
「エルフォ!?」
意表をつかれた陽香をすかさず祥子は蹴り上げ、そのまま窓のそとへ投げ飛ばした! だが、勢い余った祥子もまた外へ投げ出されてしまった!

 うっすらと夜が明けてきた街。ビルの谷間を二人の少女が落下してゆく。

「あああぁぁー!」
「落ちつけ、祥子、翼を展開しろ」
 祥子の頭に貼り付いているトカゲのような奇妙な生物―L-4が冷静に指示を出す。そう、前にもエルフォに助けられたことがあった。祥子は背中に意識を集中する。その途端、服が裂け、背中から、まるで蠅の羽を巨大にしたような翅翼が展開した。低いうなりとともに浮上効果が現れ、すぐに落下は停止し、祥子は空中に浮かんだ。祥子はあたりを見回す。
「陽香はどこ!?」
 祥子は上空へと舞い上がる。―あれは!

 祥子は見た。昇りかけた朝日を背にして空に輝く姿を。
 白く美しい翼を広げ、空に浮かぶその姿は華麗。
 陽香は人では無かった。地球上の全ての生物を超越していた。彼女は全ての死をその手の中に握っていた―。

 やがてその姿は静かに消え、朝焼けの空と同化していった。
 祥子は―天使を見たのだと思った。

 

(1991/12/8)

 

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