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心理干渉

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 祥子はふりかえった。男も祥子を見ていた。だがすぐに顔をそらし、歩き始める。気づかれた? たぶん。
 男はやがて人気のない林道へ入っていった。祥子もつかず離れずついて行く。このまま進めば、確か別荘地に着くはず。海の見える崖の上の眺めの素晴らしい場所だ。
 このあたりで異常な殺人事件が発生したという話は聞かない。あるいは、巧妙に隠されているのかもしれないが――ともかく、この男に出くわしたのはまったくの偶然だった。
 ふいに男は脇へそれた。あわてて祥子も林へ入る。

「私をつけてどうするつもりだ?」
ふいに声が後ろからした。
「わ、わたしは――」
「今さらどんな言い訳をするんだ? お互いに正体はわかってるんだ。――まさかこんなにはやく追っ手がかかるとは思わなかった。しかし、見たところ一人だが?」
「追っ手? 一人?」
「とぼけるのもいい加減にしろ。それともこの私が何者なのか知らずについてきた、とでも言う気じゃないだろうな」
 祥子は素早く考えをめぐらす。ずっと心の片隅にあった疑念。陽香に会ってから。
「あなたはあの研究所にいたんじゃないの?」
「研究所?」
「わたしが――破壊した‥」
「破壊した? あの事故で閉鎖されたラボのことか? 君が破壊しただって? 君は――君も脱走者なのか?」
「脱走者? ラボからの?」
「そうじゃない。――君は知らなかったのか、組織のことを」
戦慄が体を駆け抜ける。組織、組織!?
「‥組織 ‥」

 海が一望できる、美しい白い別荘が一軒見えてきた。
 玄関の前の階段を男は上る。祥子もそれにつづく。男が呼び鈴を押してから三回ノックをすると、やがて中から男と同年齢くらいの中年の女が顔を出した。
「お帰りなさい――?」
祥子を見て女は身を固くする。
「その子は?」
「この子も私達と同じ、脱走者なんだ」
「はじめまして、志道祥子といいます」

「――私達も組織については詳しくは知らない。一体なんのため、なにを目的とした組織なのか。君のいたラボも組織の一施設だろう」
「一施設‥あれが‥」
 祥子のいたあの大規模な研究所は、ある組織の単なる一つの施設に過ぎなかったのだ。まだ、しかし、信じられなかった。実感が湧いてこなかった。だが、二階堂陽香。彼女の存在こそが、証明であり、力の証であった。
「私達は記憶を消され、手術を施された。しかし、夫婦であり、親子であることは忘れなかった」
「親子?」
「ああ、私達には男の子が一人いる。上で昼寝中だ。この子のために、私達は決断したのだ。危険を冒し、組織から脱走したのだ」
「パパ!」
そのとき、階段の方から声がした。そちらへ顔を向けた祥子は、そこに天使のようにかわいらしい男の子を見た。男の子は、ソファーに座っている父に向かって駆けてきた。
「この子のために、逃げてきたのだ」
そう、確かに、この男の子のかわいい笑顔には守るべき価値があった。

 白いバルコニー。祥子は眼前に広がる青い海を眺めていた。
「あなたは脱走したあとどうしていたの?」
男の子の母親だった。
「わたしは――記憶を消されていたので。帰るところもなかったし」
エクスバイオーグ狩りをしていたことは言えない。
「――ずっと転々としていました」
「そう、私達と同じ、過去を奪われたのね」
過去を奪われた――そう、祥子は、あの悪夢の始まった日からのことしか覚えていなかった。自分というものをすべて奪われていた。未来までも。
「でも私達には未来がある。あの子、秀一という未来が」
母親と祥子は、室内で父親と一緒にいる男の子の方を振り向いた。あの子の笑顔は守らなければ。祥子はそう思う。

 何か、音が聞こえる。空から。祥子は聴覚の感度と指向性を高めた。
「ヘリコプター、か」
「ヘリコプター?」
母親の顔色が変わる。
「あなた!」
父親の方も気づいたようだった。
「まさかとは思うが。母さんは秀一を連れて林の方へ行ってくれ。志道君も。私は武器を用意する」
だが、不安は的中していた。ヘリコプターはどんどんこちらへ近づいてきて、祥子達三人が外へ出た頃にはもう家の上空に来ていた。

 林の方へ向かおうとしていた三人の背後で、突然大きな爆発が起きた。あおりを食らって祥子は地面に叩きつけられる。だがどこもケガはしなかった。男の子も母親がかばっていたようで、ケガはないようだった。
「家が!」
「あなた!!」
 家は原形をとどめていなかった。父親は即死だろう。
 ヘリコプターが着陸しようと降りてきた祥子は茫然としている母親のかたわらの男の子の手を取って駆け出した。おくれて母親もそれに続く。
 銃声が鳴る。太い木の幹の陰に入ってから振り向いた祥子の目の前で母親の体が爆発し飛び散った。
「炸薬弾!?」
 祥子は拳銃を取り出し応射する。だが、黒い服に身を包んだ二人の男は素早くよけ、二手にわかれて恐ろしいほどの早さで林の中に飛び込んできた。
 一人が祥子の方へ向かってきた。銃口を向けて撃つ。さらに続けて全弾叩き込んだ。だが男は立ち止まっただけだった。銃をホルスターに戻し身構える祥子。しかし、男は向かってはこなかった。
 しまった! 祥子、振り返る。
「助けて!!」
もう一人の男が男の子を抱え上げ、走り去る。追う祥子。併走してきた男が銃口を向ける。祥子、地面に突っ伏す。小爆発。
 祥子、顔を上げる。二人の男はすでにヘリに乗り込んでいた。男の子も一緒に。ヘリは上昇を始める。

「ったぁ――!!」
 立ち上がった祥子は掛け声とともにとんだ。上昇し、林を抜け出ていたヘリの足にとりつく。開いていたドアからそのまま機内へ躍り込んだ祥子の目の中に男の子のすがるような瞳が飛び込んできた。今助けてあげるからね。
 目の前の男の蹴りが祥子の腹に入った。足元のおぼつかない祥子はよろめき、外へ投げ出されそうになる。さらにもう一撃。バランスを崩し、祥子は機外へ放り出される。かろうじて右手一本でヘリの足につかまる。
 すでにヘリは空高く上昇していた。はるか下方に、海岸や豆粒ほどの家々、そして青い海が広がっている。祥子、機内へ戻ろうとするが、男は祥子の右手の指を思い切り踏みつけた。
「!!」
激痛が走る。祥子、左腕のソードを展開して反撃しようとするが、男は今度は祥子の指を蹴り飛ばした。たまらず、指を離してしまう。
 一瞬、自分の体重が何も感じられなくなる。初めての体験。恐怖が祥子を襲う。瞬間、右腕から破裂したように触手群が展開し、ヘリの足に巻き付いた。戻ってきた自分の体重につかの間安堵する。しかし――

 突き出された男の右手首から、真っ赤な太い管が伸びてきたのを祥子は見た。次の瞬間――突然、炎が視界を覆った。
 火炎放射管!!その管の正体がわかった時、すでに触手群は炭化していた‥。

「うあぁぁ――」
ヘリが急速に小さくなっていく。自分の体重が無い。自由落下。死の恐怖。地面に叩きつけられ粉々に砕け散る。私という存在は何も残らない。私はいなくなる。私がいたことはない。私は、死ぬ。
 祥子は、気を失った。

 

(1992/1/30)

 

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