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さよなら

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 とうとうここへ来た。私がかつて住んでいたこの町へ。だが祥子にはその感慨はなかった。祥子は、ここに住んでいた頃の記憶を持っていなかった。
 兵藤に、ここに自分の家がある、と教えられたから来たわけではない。ここでも”例の事件”が発生しているのだ。私には私のやり方がある。兵藤に――かつては殺そうとした男だ、今でもその憎しみに変わりはないが――指図される筋合いはない。兵藤への自分の感情を思い出し、少しムッとしながら祥子は駅を出た。
 さて、どうしたものか――現場を見ておこうかか、それとも――自分の家を見てみるか、そう考えながら駅前の通りを歩いていると、前から甲高い声で呼びかけられた。
「祥子!?祥子じゃない?」
声の主は、祥子と同じ年頃と見える女の子であった。
「ひっさしぶり、何年ぶりかなーなんてね。私のこと忘れたとは言わせないよ、香澄よ、香澄」
どうやら昔の友達のようだった。無論、祥子にはその記憶がない。
「来るなら来るで電話してくれればよかったのに。あれ、もしかして今着いたばかりなの?まだ家にも行ってないんだ、じゃ、家まで一緒に行くよ」
 祥子があいまいに返事していると、一方的についてくることに決めてしまった。おしゃべり好きな女の子のようで一方的にペラペラとまくしたててくるが、祥子には今はそれがありがたかった。返事を求められても答えようがなかったのだ。
「――でも驚いたよね、祥子がいなくなった時は。突然家の事情で転校します、とかいって急に行っちゃってさ。んで、いきなり歌手、だもんね。あれ、この前TVで見かけたときはショートだったのに。ウィッグ?やっぱり外出歩くときは少しは変装みたいなことするの?」
――!ふいにわき上がる荒々しい感情。奴だ、二階堂・陽香のことだ。祥子と同じ顔を持つ者。祥子のクローンだ。初めて対峙したとき奴は悪魔的な強さを持って祥子を圧倒し、こう言い放った。
「お前は私のクローンだ!」
なんとか逃れることはできたが、あの言葉の真相は今もまだわからない。だが、いつかまた戦うときが来るだろう、そのときには。
 黄昏時の金色の光が静かな、人気のない住宅街をつつんでいた。
「――じゃ、また、必ず後で電話してね」
もの思いから我に返った祥子を置いて女の子は逆光の中へ消えていった。祥子は、自分が、前庭のある結構大きな家の前に立っていることに気がついた。これが、私の家?ふと表札を見ると、”紫藤”と彫られていた。しとう――それともしどう?祥子は、自分の名字を覚えてはいなかったのだが、尋ねられたときには(そんな機会はめったになかったが)、”志道”――しどう、と名乗っていた。漢字は単に当てたものだが、”音”は、ふっと口に出てきたものだった。しとう――しどう、か。だが、本当にここが自分の家なのかは思い出せなかった。
「おねーちゃん!?やっぱりおねーちゃんだ!」
 また呼びかけらた。ふり向くと、小さな男の子が駆けてくる。小学校の帰りなのか、背中でランドセルが揺れている。私には弟がいたの?
「何ボーッとつっ立ってんのさ、早く早く!」
うながされ、多少のとまどいを感じつつもこの”紫藤”の家へ足を踏み入れることにした。

 家族そろって食べる夕食。一家団らんのひととき。こんなに平和な夜は生まれて初めてのような気もするし、どこか遠い記憶の中に覚えているような気もする。
 いったい奴らは、組織の連中はどうやって辻褄をつけたのだろう?弟はともかく、父母は、私と別れた時のことを話題に出そうとしない。あいまいに、愛想笑いをしながら聞いていた話からすれば、私は、別れてから初めて帰ってきたらしいのに(つまり陽香は一度もここへは来てはいないということだ)。
 だが、そんなことはどうでもいいような気がしてきた。このなごやかな雰囲気、そして温かく迎えてくれた父母、それに弟。昨日までの日々は、覚めることのない悪夢だったように思えてくる。もう二度とそんな日々には戻らず、このままずっとここでこうしていたい。いっそのこと、何もかも全て父母に打ち明けてしまおうか。――みんな?フッとまた意識レベルが冷たい現実に戻る。この体のことを忘れたの?もはや人間とは言えないこの体のことを。そして私が今までしてきたことは。許されない過ちの日々。
「おねーちゃん?」
 リビングで弟と二人でTVを見ていた。母はキッチン。父さんはどこだろう。
「おねーちゃん、あのね――」
弟がなぜか小声で話しかけてきた。
「あのね、最近お父さんとお母さんが変なの」
「変?」
「おねーちゃんは久しぶりだからわかんないのかなー、なんか変なの」
うまく言い表す言葉が見つからず、もどかしそうにする弟。そこへ母が声をかける。
「さあ、修太、もうそろそろ寝なさい。明日もまた遅刻したくないでしょ」
「はーい、じゃ、おねーちゃん、お休み」
「うん、お休み」
「祥子も疲れたでしょ、今日は早めにお休み。部屋はちゃんと整理してあるから――」

「私の部屋かあ」
 ベッドの上にうつぶせに倒れ込むと自然に笑みがこぼれてきた。体の向きを変えて部屋の中を見回す。飾り気のない机と本棚。クローゼット。私はどんな服を着てたのだろう。起きてクローゼットを開けてみる。最初に目に飛び込んで来たのは制服――中学の制服だった。私は――そうか、中学も出ていなかったんだ・・。少し悲しくなって祥子はクローゼットを閉めた。学校か。そうだ、写真――アルバムか何かないかな。どんな顔して私は写っているんだろう。あのカスミって子もいるかな?祥子はアルバムを探し始めた。それは本棚の一番上の段にあって、割合簡単に見つけることができた。ベッドに座って、少し照れくささを感じながら半ば期待を込めてページをめくってみた。・・?これは?写真が抜けている?小・中学の友達と思える写真はあるのだが、ほとんど抜けている。祥子の写っている写真が一枚もなかった。いったいこれは・・?

「あのー、母さん?」
まだこう呼びかけるのはちょっと照れくさい。リビングでコーヒーを飲みながらTVを見ていた母は祥子の方を振り返った。
「なあに?」
「私のアルバムのことなんだけど――私の写っている写真が無くなっているでしょ?」
「ああ、あれね――あなたの体に関する資料はみんな持っていったの」
「え?持っていったって、どこに?私の”資料”?」
ま・さ・か?
「ラボにだよ。但しお前が破壊してしまったがね」
背後から父が答えた。振り向く祥子。だが、そこに立っていたのは、あの、つい一時間前までは優しい笑顔を浮かべていた父ではなかった。
「お前は消去しなければならない存在だ」
いきなり父は祥子の首に手をかけ、締め上げ始めた。
「苦しい、やめて父さん、何の冗談なの――?」
だが、父の目の輝きは常人のそれではなく、そしてその力も人間のものとは思えない強さだった。その手を強引に振りほどき、逃れる祥子。その祥子に父が少しずつ歩み寄っていく。壁際に追い詰められる祥子。
「ねえ、冗談でしょ――やめて、お願い!」
だが、その願いがむなしい物だということは、祥子自身が一番よく知っていた。
 なぜこんな――こんなことに。さっきまでのことは夢で、こんな悪夢が私にはお似合いだっていうの?
 泣き出しそうになる祥子に母もまたせまってきた。
「お前は消去しなければならない存在だ」
その声にはもはや感情はこもっていなかった。

 その夜、あるラジオ局の、生放送の番組でサプライズゲストとして二階堂陽香が呼ばれていた。修太はベッドでそれを聞いていた。

「やめろ!お父さんとお母さんに何をするんだ!」
「!?シュウ?来ちゃだめ!」
だが、修太の目には、この場面は祥子が父と母に乱暴しようとしているように映っていた。
「お前は誰だ!おねーちゃんは今、ラジオに出てるんだ!こんなところにいるはずないんだ!」
父と母をかばうように立って修太は祥子をにらみつけた。
「違う、シュウ、それは違うの!!」
何か、昔もこれと同じことを言っていたような感覚がふいにわき上がってくる。そういえば”シュウ”なんて弟のことを呼んでいる自分に気がつく。
「そこをどいてシュウ、もう父さんと母さんは昔通りじゃないの!」
「何を言ってるんだ!――!あっ!?」
突然、修太の腹部からパジャマを突き破って、真っ赤な棒状のものが伸びた。”それ”の先端には牙の生えそろった口が付いており、祥子の肩に食いついてきた。そして修太は――悪夢の形へ、異形のものへと変化しはじめていた。
「シュウ!シュウタ!!いや、いやだー!こんなの嘘だー!!」
「何、これ!?痛いよ!助けてお母さん、お父さん!おねーちゃん!」
「シュウ!やめて!」
「おね――」
もはや修太は完全に異形のものとなり、理性を失った。そして祥子に無数の触手を伸ばしてくる。それに呼応して祥子も防衛本能により左腕のソード、右腕の触手群を展開していた。
「シュウー!!」
泣きながら祥子は修太の触手をなぎ払い、その胸に深々とソードを突き立てていた。シュウ、シュウタ、なんでこんなことに――ねえ、いつでもシュウだけは分かっててくれたよね、父さん母さんとケンカしてもシュウだけは私のことを信じてくれてたよね――シュウ、シュウにだけはいつでも本当のことを言っていた――。ごめんなさい、シュウタ――。
 全ての場面が鮮やかによみがえる。父さんのこと、母さんのこと、修太、そして小学校のこと、中学校のこと、友達――。
 崩れ落ちる修太の後ろからすでに体を変異させていた父と母がせまってきた。祥子は二人に向かって左腕=ソードを尽きだした。ソードは今や赤く発光し、放電し始めていた。
「ごめんなさい――!さようなら、父さん!母さん!」
目をつぶる祥子。二股に分かれたソードのつけ根部分に真紅に輝くエネルギー・ボールが発生し、それが二人に向かって打ち出された。エネルギー・ボールは二人の間で炸裂し、二人の体に熱線と電撃を浴びせかけた。
 二人は炭化し、崩れさった。

 真っ赤な炎が家中をなめつくしてゆくのを見届けると、祥子は119へと通報した。
「もしもし、火事です。紫藤という人の家です――場所は――」
 電話を切り夜の町へ駆け出す祥子。
 さようなら、父さん、母さん、修太――電話しなくてごめんね、香澄――もう二度とは会えないの。さよなら、私の思い出――さよなら、紫藤祥子。
 夜の空にサイレンが鳴り響いていた。

 

(1990/6/19)

 

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