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ささやき

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 強風と豪雨の中、その二両編成の列車は崖沿いの線路をゆっくりと進んでいた。海と険しい山との間のわずかに平らな土地を、いくつもの短いトンネルで抜けながら線路は延びていた。祥子は、激しい雨の叩きつける窓越しに、砕け散る波をもの憂げに眺めていた。何もかも灰色。色彩が何もない。祥子は思った。私と同じ。

 まるで箱庭のような小さな町の駅に止まったまま、列車は進まなくなった。車掌が運転手や駅員とホームで何事か議論していたが、やがて車中に入って来て、乗り込んでいた数人の乗客に向けてこう説明した。
「乗客の皆様にお知らせします。このとおりひどい嵐で、崖崩れやその他の危険が生ずる可能性がありますので、当方ではこれ以上の運行を見合わせることとなりました。申し訳ございませんが、これより先にお急ぎのお客様は他の手段をお使い下さい。なお、乗客の皆様のお宿は人数分手配いたしますので、なにとぞご了承下さい」
 誰も無理に先へ進もうと思う者はいなかった。誰が見てもこの嵐の中、列車でも車でも先に進もうという試みは無謀に思えたのだ。

 見られている。列車から降りた途端、祥子はそう感じた。何か、に監視されている。大きな犬が玄関で寝そべっている温泉旅館に入った後も、その感触は続いていた。簡単に用意された食事の最中も、久しぶりの風呂に浸かっているときも。この町全体の雰囲気だ、何日かぶりに蒲団に入りながらそう思った。
 確かに、この町にもいるのだ。エクスバイオーグが。だが、この漫然とした雰囲気は? 不安に駆られつつも蒲団の心地よさに、いつしか祥子は寝入っていた。

 相変わらず激しい風雨が続いている。だがその音とは違う気配に、祥子は目を覚ました。まだ深夜だった。
 静かに、数人が廊下を歩く気配がする。こんな夜中に― ? やがて祥子の部屋の前で一つの足音が止まった。一瞬の間をおいて、部屋の鍵がかすかに音を立てた。開けられた―蒲団の中で身を固くする祥子。扉を開けたのは、この宿に入るときに紹介された女主人だった。
「あの、何か?」
女主人は表情を変えずに近づいてきた。
「あら、まだ起きていらしたんですか ――がはっ」
突然、女主人の口から、"長いもの"が飛び出した。咄嗟に身をひねって避け、枕の下から銃を抜きざまに額を狙って撃つ。女主人は祥子の方へ二、三歩歩み寄ってきたが、そこで倒れた。祥子は右腕から触手群を展開し、女主人の体を調べてみた。他のエクスバイオーグから増殖芽を産み付けられた二次体だった。
 入り口に人影が現れた。見られた!? 警察を呼ばれたらまずい、記憶を操作するか!? しかし、その心配は無用だった。その人影、旅館の使用人はいきなり祥子に飛びかかってきたのだ。男の両手の爪が異様に伸び、祥子に斬りかかる。予想外の武装によけられず、二の腕を切り裂かれる。が、すぐ応射。男は倒れた。
 ケースのヒートロッドをはすに背負い、祥子は廊下へ飛び出した。そこへ、ムチのようなものが空を切り腕に巻き付いてきた。体中をかけめぐる痛み。その触手を力任せに引きちぎり、伸びてきた方へ撃ち返す。さらに立ちふさがる二三人に乱射しながら体当たりを喰らわせた。
 玄関から嵐の中へ。そこで祥子は驚愕する。旅館の回りを人々が囲っていた。

 旅館だけじゃない、このあたりの人間は全て寄生され、異形の怪物と化しているのだ。それがこの異様な雰囲気の正体だった。しかし――。さらなる恐怖。まさか――この町そのもの、全ての住人がエクスバイオーグだとしたら・・・。

 背中のヒートロッドを抜きながら大きく跳躍した祥子めがけて、無数の触手群が襲いかかる。それらをロッドで焼き切り、逃れる。本体から切り離されてもまだ祥子の手足や首に巻き付き、うごめき、締め上げてくるものもある。駆け出しながらそれらを引き剥がす。祥子は全身傷だらけであった。

 街灯の照らさない建物の影の闇の中、祥子は壁を背に座っていた。激しい雨にうたれ、全身の傷からどんどん体液が流れ出す。それを食い止めようと右腕から伸びる触手群が治療のためせわしなく動いていた。
 祥子を探す者達があたりを行き来するのが分かる。
 どうやってここを逃れる? 峠を越えるか?
「ここに、真性のエクスバイオーグが来るというのは、大きな誤算だった」
無機質な、何の感情もこもっていない声がすぐそばでした。飛び上がり、駆け出す祥子。山へ向かう。

 ゆるい斜面にはえた太い木の幹にもたれかかりながら、祥子は町の方を見やっていた。追手との戦いでさらに傷を負い、疲弊しきっていた。
「お前が来たのは予想外のことだった、祥子」
「誰だ!?」
突然自分の名を呼ばれ、驚愕する。祥子は動けなかった。すでに飛び出す体力も気力も失せていた。声のした背後へゆっくり振り返る。
 木々の間の暗闇から歩み出てきたのは――あの旅館にいた、白い、大きな犬だった。
「犬!?」
「犬ではない、私はウィスパー」
駆け出す祥子。犬型のエクスバイオーグか!? 多分こいつ ――ウィスパーこそが、一次体、町全体を支配する者なのだ。だが、なぜ私の名前を知っているの?
 ウィスパーが素早く祥子の前に回り込んできた。すでにエネルギーの切れたヒートロッドで祥子はなぐりかかる。ウィスパーは飛び、木の幹を蹴って祥子に飛びかかってきた。祥子とほぼ同体躯の、その全体重を一気にかけられ、たまらず後ろに倒れ込む。肩に激痛。牙が食い込む。左腕のソードを伸張し、ウィスパーを突くが、ウィスパーの背から伸びてきた"腕"に押さえ込まれる。祥子も、背中から"腕"を発生させ、ウィスパーにつかみかかろうとしたが、それも阻まれてしまった。ウィスパーに組み敷かれ、絶体絶命の祥子。

 だが、ウィスパーは、今にもかみ砕きそうだった肩から口を離し、祥子の体の上から降りた。なぜ? 私の負けだった、私はこのまま死ぬはずだったのに? 泥だらけの上半身を起こしてウィスパーを見やる。沈黙。激しい雨音だけがここにある音。土砂降りが祥子の身を洗う。

「人間内で多発している、未解決の大量殺戮、そしてそれを排除する動き」
祥子から目を離さず、静かな口調でウィスパーは話し始めた。
「それらの事件があの私のいた施設から逃走した統制されていない未完成のエクスバイオーグの仕業であり、それらを狩り出しているのが祥子、お前だということはすぐ分かった。その原因を作り出した張本人なのだからな。」
祥子は身を固くした。全ての原因。それが。この私。
「祥子、お前はなぜ自分の同胞を殺す?」
「同胞? 異形の怪物達が私の同胞?」
「ならばお前は人間なのか?」
祥子は少しためらいながら言った。
「しかし"心"は人間のままだ」
「"心"か。"心"とは何だ? 人間を人間たらしめる"心"の特性とは? ―仮にお前が"人"という種に属しているとしよう。そして"人"という種のために不利益になるエクスバイオーグを排除しているとしよう。私、ウィスパーは"私"という種に属している。だから、"私"という種を増やし、守るのだ。この町を見ろ、これが私の種、私の町だ。」
 眼下に広がる小さな町。空とも海とも見分けのつかない黒い世界と切り立った山との間にある、この小さな町の全ての住人が、異形の怪物、いや、"ウィスパー"なのだ。
「人間は、寄生された人間の心はどうなる!」
「一つの種が、一つの種を滅ぼすのは悪か? 強い種が、弱い種を滅ぼすのは悪か?」
闇の中、白く浮かび上がる大きな体についた、二つの光る目がじっと祥子を見つめている。
「黙ってここから去るのなら、このまま見逃そう。お前には、私を"あの"施設から逃亡させてくれ、私、ウィスパーという存在を自覚するきっかけを作ってもらったという礼があるからな。だがあくまでも戦うというのなら容赦はしない」

 傷ついた体を引きずるように、土砂崩れや地すべりの起きている山道を進む祥子。雨はまだ止まない。
 私、私は人間だ。だがこの体は ――触手がうごめき、ソードが伸び、余計な手が二本ついているこの体は――これで人間といえるのか?
 人の命を不当に奪うエクスバイオーグ達。人を守るために私はその怪物達を殺してきた。それだけ? 違う、私は、ただ寄生されただけの、自覚もしていない、何もしていない者たちまで殺してきたのだ。自分達が怪物だと気づかない、人間だと思っている者達まで。エクスバイオーグだろうが人間だろうが、命には変わりないのに。私は、私は無差別に殺してきたのだ。これじゃあ、私こそが、人間ではないもの、人間らしい心をもたないもの、"生命"の大切さを理解しないもの、異形の心を持った怪物じゃないの ――。
 何かにつまづき、泥の中に突っ伏してしまう祥子。
 私は、私は ――
 土砂降りに打たれながら、祥子はそのまま立ち上がろうとはしなかった。
 ただ右腕の触手群だけがせわしなくうごめいていた。

 

(1991/12/24)

 

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