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脳梁 

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「佐波さん・・・ですか?」
「はい?」
 読んでいた小説から顔を上げた雪宏の目に映ったのは、年上の、二十代後半の美しい女性だった。
「相田さんですか?」
「ええ、そう。神乃から聞いていたのと大部印象違うのね。―かけてもいい?」
「どうぞ」
 神乃さんはなんて僕のことを紹介したのだろう。あの人はいつも僕を・・・それにしてもいきなり失礼な人だな、人の印象を口にするなんて。いや、言ってないか。神乃さんは少し気をつけたほうがいいかもって言っていたけど・・・。
「コーヒーでいいですか? 一応注文しとかないと居づらいもので」
「ええ、お願い」
「すいませーん、コーヒー一つお願いします」

「さてと。ええと、神乃さんの話だと、人捜しだとか」
「そう。実は探してほしいのは夫なの」
「・・・警察の方へは?」
「まだ行ってないわ。実は、恥ずかしい話、夫はちょっと私に言わずに二三日旅行に出かけるってことがたびたびあって。結婚した当初、帰ってこないからおかしいと思ったら電話がかかってきて『今北海道だよ』なんてことがあったりして。放浪ぐせがあるのね。それとも仕事がいやになるのかな。帰ってきても、ただ土産を買ってきてそれっきり。出張だったり、有給を使ったりして出かけて行くのだけど、別に仕事をやめたいとかそういうことは言わないし」
 彼女は一息ついてコーヒーを飲んだ。つられて雪宏も一口飲む。
「それで、今回は?」
「そう、ところが今回は、出てったっきり、電話もよこさないし。もちろん、会社にも連絡は行ってないのよ。それで、警察に行くわけにもいかないし、知ったところに少し聞いてみたけど、そっちもわからないし。で、前に神乃があなたのことを離していたのを覚えていたから。―あの子も変な子ね。結構顔立ちが整っているから、男受けもよかったのに、誰かとつきあってたっていう話も聞かないし、いまだに大学にいるし。あら、関係ないわね」
 雪宏はどう答えていいのか分からなかったのでとりあえずコーヒーをまた一口すすった。
「さてと、神乃さんが言っていたと思いますけど、持って来ていますか、写真とかは」
「ええ、今出すわね」

 雪宏は目をつむった。少し血の気が引いたのが分かる。こういう時ほど自分にこの能力があることを疎ましく思い、そしてその能力が弱いことで安堵することはない。
 目を開ける。テーブルの上の写真に写っているスーツ姿の男性の笑顔が、顔のひきつりにしか見えない。もうたくさんだ。
「―あと使っていたハンカチとかもあるけど?」
「いえ、もう、写真だけで結構です」
 声がこわばってしまった。しかし、気ずかれなかったようだった。
 雪宏は傍らのカバンから地図を取り出した。
「ここで―やるの?」
 面白そうに相田は地図を眺めた。
「ええ、ここの喫茶店の人はもうなれてますから」
 雪宏は広げた地図に手をかざすと、それに集中し始めた。

 さらに細かい、住宅地図に切り替えさぐっていると、相田が声をかけてきた。
「ねえ、そうやっているとどういう風に分かるわけ?」
「―言葉で説明するのは難しいですね。なんとなく―というのでもないし」
 集中しているときに話しかけないで欲しい。心の中でつぶやく。雪宏はふと思った。まるで父親のようだ、と。
「ここを知っていますか?」
 地図上の一点を指して相田に聞いた。彼女は少し眉をつり上げて言った。
「―そこは私の家よ」

 タクシーから降りた雪宏はまた少し気分が悪くなった。ここだ。雪宏が見つめる一軒の家。
「大きい家ですね」
「そうね、二人で住むにはね。さて、お次はどうするの?」
「ここで、少し他の手がかりを探したいのですけど、上がらせてもらえますか?」
「ええ、どうぞ」
 次はない。他の手がかりなどない。
 門をくぐって右手へ曲がる。
「こっちは?」
「そっちは庭に続いているわ」
 しっかり目を見開いて、足を動かさないと、現実と過去がオーバーラップして、目の前でその瞬間を見てしまう事になる。
 何も植えられていない庭の隅で雪宏はカバンから折り畳み式のスコップを取り出すと、しゃがみ込み土を掘り返しはじめた。

「何をしているの」
「次の手がかりを探しているんです」
「そんなところを掘ったって何も出てきやしないわ」
「掘ってみれば分かります」
「・・・神乃が、絶対見つかるから、なんて言ってたけど、期待はずれね」
 雪宏は無視して掘り続けた。スコップの先が土と別の感触に当たる。嘔吐感が込み上げて来た。胃が口から出そうな感じになる。
「やめなさい! それ以上掘るのは!」
 土をかき分けていく。布地が見える。
「やめなさいって言っているのが分からないの!! 何の権利があってあなたはそんなことをしているの!!」
 雪宏が掘り出したもの、それは、人間の、手。
「あなたが殺したんだ」
「何を言っているの!! 早くそれを埋めなさい!」
「あなたがやったんだ」
「あああっ!! なんてこと、何で、どうしてあの人が殺されなきゃならないの!!」
「あなたが、十日前、ここで殺したんだ!」
「あああ、そうよ、私がなぐったのよ、そしたら、動かなくなって、それで、ここに穴を掘って、どうして、誰が!! いつものように、ただ旅行に行っているだけだと思っていたのに、殺されていたなんて! 旅行に行っているのよ! そう、旅行に、あたしじゃなく他の女と!! それで、あたしは殺したのよ、永久に、この人は私のもの、なのに、死んでしまうなんて、どうしてこんなことに早く警察を呼んでぇっいやああああぁぁぁ」
 人格が分裂している―自分で自分のしたことを分かっていない―いや、一人の自分はそれを知っていて、もう一人の自分はそれを知らないのだ。まるで脳梁を切断された右脳と左脳のように・・・。
 雪宏は嘔吐してしまった。泣きじゃくる彼女の、呪詛のように繰り返される二人分の言葉を聞きながら・・・。

「ごめんね、佐波君、こんなことになるなんて思わなかったから」
「もしかして、神乃さん、選んで僕に紹介していません?」
 数日後、大学の薄暗い廊下の中を雪宏は神乃と歩いていた。
「まさかまさか」
「だって、そういえばはじめに気をつけなさい、って言ったじゃないですか」
「そんなこと言ったっけ。ああ、ただ相田さんは少し我が強いところがあるから、佐波君は苦手なタイプの人じゃないかなと思って」
「本当にそれだけですか?」
「そう、それだけ。研究室、寄ってく?」
「いえ、いいです、これから講義ですから」
「そう、それじゃあ、また」
 そう言うと、神乃は横の扉の中に消えて言った。
 そういえば、どう言って自分のことを紹介したのか、聞くのを忘れたと思いながら、雪宏は講義に向かった。

 

(1992/10/18)

 

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