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歩く男

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 男は思った。よし、歩こう、と。

 男は歩き出した。ひたすら歩いた。人々が彼に気がついたのは、彼がまっすぐ歩いたからだ。彼はただまっすぐ、ひたすらまっすぐ歩いた。彼の行く手を阻むものは何一つなかった。塀をまたぎ、家の中を土足で渡り、ビルをはい登って屋上を横断し高速道路を歩き川を越え―。もちろん男の異常な行動に気づいた警察は彼を止めようとした。しかし彼は警官をふりほどき、パトカーを乗り越えバリケードを破壊した。催涙弾、閃光手榴弾をものともせず、麻酔弾をはじき返して彼は突き進んだ。
 彼は民衆やTV局、そしてもちろん警察が見守る中、超高タワーをよじ登り、強盗のたてこもる銀行を縦断し、予算審議中の国会議事堂の壁を突き破って横切り、とうとう海へ出た。そして衆人環視の中、波の彼方へと消えていった。

 彼についてのうわさ・憶測がとびかい、そしてようやく一段落したころ、再び彼は人々の前に姿を現した。―隣の国で―海岸から―一人の男が歩いてきて―朝食を食べていた某の家の壁を破壊し―歩き去り―警官が取り押さえようとしたところ―抵抗したので―発砲したが―無傷で―パトカーを破壊し―軍の応援を―大隊が全滅―。

 彼は歩き続けた。広大な砂漠を。世界の屋根を。熱帯の密林を。極寒の海底を。今や世界中が彼を注視していた。神か。悪魔か。彼の進路となっている国はもはや彼を止めることをあきらめていた。過去のどのような試みも失敗に終わっているのだ。銃弾、ロケット、電気、ガス、水道(?)、細菌…。こうなってはもはや、彼の進路を計算し、あらかじめ道を用意しておくしかなかった。

 とうとう彼は帰ってきた。懐かしいふるさとへ。彼はとうとう地球を一周したのだ。ふるさとの人々は彼が歩くのを固唾を呑んで見守っていた。と、彼は突然歩みを止めた。

 彼は思った。やっと着いた、と。だが―約束の時間を大部過ぎてしまった。そして、ふと、その場所から彼の家が見えることに気がついてこうも思った。
  (そうか、逆の方向に歩けば一分もかからなかったのか。)

 

(1988/4/10)

 

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