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町かどに立つ子供が手に握っていたもの

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「ちくしょう、何が悲しくてこんな風になっちまったんだよう、俺は。昔はよかったよな――」
 すっかり酔ったこの中年の労働者は住宅街をふらふらとさまよっていた。もう夜中の一時である。ところが、そんな時間なのに、男は曲がり角の外灯の下に小さな男の子が立っているのを見つけた。
「おい、ぼうず、こんなところで何をしているんだ? 子供はもう帰って寝てる時間だぞ」
「僕は――あなたを待っていたんです。あなたが忘れていたこれを渡すために」
そう言うと、男の子は両手で大事そうに握っていたものを男に見せた。
「なんじゃそりゃー? うわぁーっ、それは俺のじゃない、そんなものいらねー!!」
男は"それ"を見るなり、血相をかえて逃げ出そうとした。しかし男の子は男の手にそれを押しつけた。
「でもあなたのものなんです」
「違う、いやだ、俺のじゃないんだー!!」
男は"それ"を持って絶叫しながら駆け出して行った。

「あーあ、仕事仕事、残業残業の毎日。学生時代はよかったよなー、毎日遊んで暮らせてサラリーマンなんかにならずにずっと学生でいたかったよなー」
憂鬱な顔をした若いサラリーマンがボソボソつぶやきながら家路を急いでいた。もう真夜中だった。彼が、曲がり角に立っていた男の子の前を通り過ぎようとした時、男の子が、まるで独り言のように言った。
「僕はあなたを待っていたんです」
「あん? 何だって?」
「あなたの忘れていたこれを渡すために」 そう言うと、男の子は手のひらの上のものをサラリーマンに見せた。
「違う! これは俺のじゃない!!」
「でも、ほら」
既に男の子の手のひらの上に"それ"は無く、男の手に握りしめられていた。
「いやだ! こんなものは俺のじゃないんだ!!」 手にそれを握りしめて走り去る若いサラリーマンを、男の子は無表情で見つめていた。

「こんな時間に、こんなところで何をしているのさ」
「僕はあなたを――」
男の子は言いかけて、自分に話しかけてきたのが、目の前の家の塀の上に寝そべっている黒猫だったことに気がついた。
「僕は未来に絶望した人を待っているんです」
「何のために?」
「これを渡すために」
「それは何なのさ」
「忘れ去られていた過去の悩み。苦しみ。過ち。絶望」
黒猫は立ち上がりながら聞いた。
「なぜそんなものを渡すの」
「その人が、死にやすいように」
赤い舌で鼻の頭をなめると、黒猫は走り去って行った。
 男の子は、外灯の下で、待っている。

 

(1989/11/24)

 

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