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奇跡の少女

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 小雨のぱらつく中、山奥の曲がりくねった峠道を一台の白い乗用車と、少し間をおいて路線バスが走っていた。乗用車に乗っている二人の男は、別段会話をかわすわけでもなく、ただ前方を見やりながら車を走らせていたのだが―車が、落石よけの中をくぐり抜けた途端、突然後方で大音響が発生した。あわてて急ブレーキをかけ、後方を見ると、なんと、今くぐり抜けたトンネルが土砂崩れで崩壊し、完全に埋まってしまっているのだった。急いで車外に出た二人は、だが、あまりのことに茫然と立ち尽くしてしまった。
「おい、まさか―」
「ああ、バスが―あの中に埋まっている」

 五六人ばかりの乗客を乗せたバスに揺られながら、ガケ下の方を見やっていた祥子は、バスが落石よけに入る瞬間、かすかな兆候を感じた。崩れると直感した。だが、対処する間もなく、その瞬間に大音響とともに周囲の壁が崩れ落ちるのが見え、バスの天井を巨大なコンクリートの残骸と岩石が押しつぶし、ガラスを突き破って土砂が車内に流れ込んで来た。バスの乗客は悲鳴をあげる間もなく、そして祥子は脱出する間もなく、突然牙をむいた山に押しつぶされてしまった・・・。

 静かな暗闇。だが、周囲は圧倒的な質量。手足に力を込めてみる。土砂にもぐっている手足が固い足場を見つける。全力で体を持ち上げようと試みる。わずかに動いた気はするのだが―相当の土砂が積み上がっているらしい。掘り起こされるのを待つか。
 静かだ。時折どこかが崩れる音が伝わる以外何も聞こえない――いや、聞こえる。かすかな息づかいが、心音が。全員即死だと思っていたのだが、生命の証が祥子のすぐ近くから聞こえる。
 目を凝らしてそちらを見る。光が全く届かず、何も見えない。触覚を伸ばす。祥子の前方にその音の主はいた。赤ん坊だ。前の座席に親子が座っていたのを思い出した。うまい具合に、母親の体が支えになって、赤ん坊のいる空間を作りだしているのだった。祥子は右腕を伸ばして赤ん坊を自分の方へ優しく引っ張ると、自分の下の土砂をかきわけ、赤ん坊をそこ寝かせた。母親の体はまるで赤ん坊の無事を確かめたかのように、にぶい音を立てて押しつぶされた。

「大丈夫、今助けが来るからね」
 あまりのことに、泣くことも忘れてしまっている赤ん坊に優しく語りかける。そして、傷の手当てのために、右腕の触手群を展開し、赤ん坊の体に優しくからみつけた。
 だが、祥子は、そこに、赤ん坊の体に、見てはならないもの、見つけてはならないもの、を見つけてしまった。
「そんな―この傷あと―」
 触手が、敏感に感じ取っていた。今できたのではない、古い傷跡。ごくちいさな、できもののような跡。忌まわしき証。

 祥子、祥子、あなたはどうするの?
 この子は何も知らない、自分が何者になるのかを、自分が何者に属するのかを。
 この子の存在は―悪? そんなことが―この子に罪は無い、しかし―。
 どうするの、祥子。

 ショベルカーが土砂をかき分ける音、そしてシャベルで土を掘り返す音。黙々と作業は続けられる。誰もが、その事故のひどさに愕然とさせられていた。改めて山の恐ろしさを味わっていた。
 半ば憑かれたような表情でスコップを操っていた作業員の前の土砂がかすかに流れた。そして、突然巨大な岩石が持ち上がったかと思うと、人影が立ち上がった。

「うわぁー!」
「どうした!?」
「生存者が!」
 乗客乗員全員の遺体を回収しなければならないと思っていた作業員達は驚き、集まった。そこに立っていたのは、赤ん坊を抱いた泥まみれの少女だった。
「この子を受け取って」
「あ、ああ―しかし、よく生きていてくれた」
「いえ―もしかしたら私は―もう死んでいるのかもしれない―しかしその子は―その子の未来はあなた方が決めて下さい―」
 そう言うと少女は、突然身を翻しガケ下へ飛んだ。
 作業員達は、赤ん坊を抱き、ただ茫然と立ち尽くしていた。

 

(1992/7/10)

 

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