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一日だけ

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「一日だけ――」
「え?」
 俺は振り向いた。後ろに立っていたのは、黒ずくめの衣装の、髪の長い女の子だった。
「一日だけなら会える」
「――」
「但しその思い出と引き替えに」
「会いたい」
なぜか俺はそうつぶやいていた。

「でなあ、あいつが言うには――優乃、聞いてる?」
「え、う、うん、聞いてるよ――浩がそのことを聞いたんでしょ」
「窓の方見てたろ」
「だって――きれいな空だな、と思って」
「そうかなぁ」
「そうだよ――そろそろ出ようよ」
「ああ」
俺たちはその喫茶店を後にした。

「何かいいなあ、こういうのって」
 歩行者天国の中、人垣の輪の中で異国の演奏家が耳慣れない音楽を奏でている。
「ユウノこういうの好きだったっけ」
「うん――なんとなくね、普段聞かないし――生演奏だからいいのかなあ」
「今日は何だかやたら感心してるな」
「だって見るものがみんな新しく感じるから」
「そうか? いつもの風景だよ」
「そう、コウにはね」
「え?」
「何でもない」

「どうしたんだ、何か元気が無いみたいだけど」
隣でうつぶせている優乃の黒髪に手をやり、かき上げる。
「・・・・今日がもうすぐ終わりになるから。今日という一日が」
「今日が終わりになるから明日が来るんじゃないか」
「そう、明日が来る、でも私には」
「何を言っているんだ?」
「覚えてないんだね――ううん、思い出さないで――ちょっとシャワー浴びてくる」
「おい、ちょっと」

「どうしたんだ、さっきから変だぞ」
優乃の顔を覗き込む。街灯の光――彼女は泣いていた。
「もう今日が終わってしまう、そして――もうコウには会えなくなる」
「何を言っているんだ? 明日になればまた」
「コウ、コウは忘れてるの」
「え?」
「私はここにはいない、私はコウには会えないの!」
「――」
「私は――私はただの幻――私は――死んでしまっているのだから」
「優乃・・・・優乃、そうだ・・・・そんな」
「私はあなたが作った私の影絵、私はあなたの中に残っていた私という思い出の最後の結晶――一日だけあなたの前に現れた幻影――」
「そんな・・・・」
「それが約束だったの、一日だけというのが。でも、たった一日だけでも、あなたの私への想いを全て使わなければいけなかったの」
優乃は涙を流し、俺を見つめていた。その顔が次第にぼやけていく。
「ユウノ! 顔が・・・・待ってくれ!」
「コウ、もうだめなの、私はあなたの前にいられない・・・・でも、大丈夫、コウはもう悲しまなくて済むの、私は消えるから、私はここにはいなかったから、コウは私のことを――忘れるから――」
「そんな馬鹿な! やめてくれ、消えないでくれ!」
優乃を抱きしめる。だが、その体は存在感がまるでなかった。
「コウ、行くたくないよ――でもあなたにはこの方がいいの、私の幻を引きずるよりは」
「そんな言い方するな!――ユウノ、やめてくれ、行かないでくれ」
「さようなら、ありがとう、これでもうあなたは決して私を思い出さない」
 ユウノの姿が消える。俺の手の中から。
 だが誰もそれに気づかない。
 なぜなら始めからそこに彼女はいなかったのだから。
 そして俺はなぜここで涙を流しながら立っているのだろうか。
 悲しい目をした長い髪の女の子が俺の横を通り過ぎて行く。

 

(1995/6/19)

 

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