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母に祈りを

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 わたしはあのフランチェスカというメイドがだいっきらいだった。
 たいしてメイドらしい仕事もしてないのに、いつもお父様のそばを離れない。お父様に色目を使ってるんだ。もういないお母様の代わりにでも成ろうとでも考えているのだろうか。
 ただ、フランチェスカが時々口ずさんでいた"歌"だけは少し好きだった。

 ある日、庭で水やりをしながらその"歌"を口ずさんでいたフランチェスカにそっと近づいて、わざとおどかすように聞いてみた。
「あんたのそのいつも歌っている歌は何?」
フランチェスカは驚いた様子もなく、ただこちらを振り返って、微笑みながら、そのうまくまわらない口でたどたどしく、「……D.839で…す」とだけ答えたのを覚えている。

 わたしはお父様にたずねたことがある。
「お父様はあのフランチェスカと再婚するつもりなのですか?」
と。すると、お父様はびっくりした様子だったが、笑ってこう答えた。
「おやおや、そんなことを考えていたのかい? でもエミーリア、人間とがいのいどは結婚できないんだよ」
「でもあのメイド、お父様のそばを離れない」
「母さんの形見でもあるからね、倒れられたら困るんだ」
形見? なんの事だろう。

 わたしは知っている。フランチェスカが時々夜にお父様の部屋に入っていくのを。きっといやらしい事をしているんだ。いやしい雌猫。フランチェスカに一度だけ聞いた。
「お父様の部屋で何しているの」
「へ……や……?」
「時々夜、お父様の部屋に忍び込んでるでしょ?」
「あ……めもりのバックアップとらんしの保存の状況の確認を」
「いやらしいことしてるんでしょ?」
「あの……お嬢様が考えているような……ご主人様とはそんな……お嬢様のためでもあるんです」
 会話がまるでかみ合わなかった。なんでこんな無能なメイドをお父様は側に置いておくのか分からなかった。なんでこんなメイドといやらしいことをして、お母様との思い出を踏みにじるのか分からなかった。わたしはくやしさと悲しさみたいなのがまぜこぜになった気持ちをおぼえてフランチェスカを突き飛ばすと、その場を去ろうとした。
「お嬢様!」
メイドのアレイシアがあわてて駆け寄ってきた。
「お嬢様、こんなことをなさってはいけません、フランチェスカは特別なメイドなのですから」
アレイシアまでフランチェスカの肩をもつのかと、くやしくなってわたしは泣きながら駆け出して行った。

 もうそれは誰が見てもあきらかだった。フランチェスカのおなかが膨らんでいるのだ。家に見慣れない服装の医師が何人も入れ替わり立ち替わり出入りしてはフランチェスカを検査していく。お父様はうれしそうに今でも鼻歌を歌い出しそうな様子だ。
 わたしはお父様に聞いた。いったいフランチェスカのおなかはどうなっているのかと。
「フランチェスカの中にはね、新しい命がやどっているんだよ。母さんの卵子を移植してあるんだ」
「らんし?」

 フランチェスカのおなかが大きくなってきた。とうとうわたしはフランチェスカが一人のところをみはからって罵声を浴びせかけた。
「この泥棒猫! お父様といやらしことして子供作ってお母様のあとがまに座る気? 何が目的? この家? 財産? きたない雌猫!」
フランチェスカは悲しそうに、言った。
「わたし……は……何も望みません……ただご主人様の求めるがままに……このおなかの子はお嬢様の……弟ですよ」
「お母様を殺しておいて、それで産むのがわたしの弟ですって!? よくもそんなことを!」
わたしはフランチェスカの頬を張ってやりたがったけど、それにはぜんぜん身長が足りなくて、くやしいから目の前のおなかを殴ろうかとも思ったけど、心の奥底でブレーキがかかってそれも出来なくて、上げた手のやりどころがなくて、ただ悲しくなって涙が出てきた。
 わたしの振り上げた手をやさしく握ってくれたのはお父様だった。
「フランチェスカ、行きなさい」
「……はい……」
「エミーリア」
ぶわっと涙があふれ出してきて、お父様に抱きついてただただわたしは泣いた。

 家があわただしい。フランチェスカが苦しみだして、お父様が見慣れない服装の医師――"がいのいどぎし"を呼んだのだが、お父様とがいのいど技師達はフランチェスカを連れ込んだお父様の部屋から出てきて相談している。
「あのガイノイドの体では出産は無理です」
「このままでは両方とも死んでしまう」
「なんとか助かる方法は」
「ともかく切り開いて赤子の方は集中管理しよう」
「ガイノイドの方は」
「廃棄だ」
「メモリの回収は」
「……」
「……」
 わたしは怖くなってその場を去った。広間に出るとメイドのアレイシアがいた。
「アレイシア、フランチェスカは助かる?」
一瞬返答につまったアレイシアは、けれど答えた。
「お嬢様の弟はきっと助かりますよ」
「フランチェスカは?」
「お嬢様――物には寿命が有ります。フランチェスカも寿命がきたのかもしれません」

 赤ちゃんは助かった。けれど、フランチェスカはもうこの家にはいない。
 ある日お父様が一通の手紙をわたしに差し出した。フランチェスカの机の中に入っていたものだという。宛名はわたしだった。それはワープロではなく直筆のペンでたどたどしく書かれていた。わたしはそれを読んだ。

    *    *    *

 お嬢様、わたし、フランチェスカはガイノイドです。だから、人を愛するということがどういうことなのか分かりません。こんなわたしを哀れに思ったのか、奥様はわたしにD.839という歌を入力して下さいました。この歌をわたしが初めて歌ったとき、奥様はこう教えて下さいました。奥様が一番好きな歌であるこの歌を、お嬢様が産まれたときに初めて聴かせてあげた事を。わたしはこの歌の意味も何も知りません。ただ奥様が、喜ばれたことが心地いい感覚――うれしい?――を覚えたことを記憶しています。
 あの事故で奥様が亡くなられた時、そしてわたしが壊れてしまったとき、もうわたしには何もありませんでした。メイドとしての機能も大半が失われ、新しいことを覚えることが出来なくなりました。それでもご主人様はわたしをお側に置いて下さいました。それは、わたしの体に奥様の命のみなもとが保存されていたからだと思います。
 奥様の思い出は今は歌だけです。だからわたしはD.839を歌います。
 ある日、お嬢様の部屋からD.839が聞こえてきた時、わたしはとても不思議な感覚を覚えました。わたしが歌っていた歌をお嬢様も歌っている。それが多分うれしいという感覚だと思いました。
 わたしの体は日に日に壊れ、記憶をバックアップしても、同じ壊れ方をした体がなければ、わたしというものを再生することはできないでしょう。せめて、バックアップの中から奥様の思い出とお嬢様との思い出、そしてご主人様との思い出を抜き出せればいいのですが、それもかなわないかもしれません。だから、わたしがわたしでいるあいだにお嬢様に手紙でお嬢様への気持ちをしたためておきます。
 お嬢様があの歌を歌って下さって。わたしはうれしかったです。

    *    *    *

 わたしはただ、最後の方は涙で手紙がゆがんでよく読めなかった。お父様が静かに語りかけてくる。
 あの事故のとき、運転していたのはフランチェスカではなく母だったこと。一目で即死と分かるひどい事故だったこと。救急隊はただちに母の細胞と母の卵子を一番手近の培養器であるガイノイドのフランチェスカへ移した事。
 あれからフランチェスカのメモリーは定期的にバックアップしてあったが、結局再生することだできず破棄したこと。それはとてもつらいことだけど、思い出は心の中にあるから大丈夫だと。

 あれからだいぶ月日がたった。私は成長し、弟も大きくなり、父も再婚した。
 私は今日も庭で歌う、母が、フランチェスカが、そしてわたしが好きなD.839――アヴェ・マリア――を。

(2012年3月3日)

 

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