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古い水

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 この嵐にもかかわらず、留菜は海岸沿いの道を選んで下校しようとしていた。たった一つ、それも致命的なミスを自分が犯していたことに気づいてしまったのだ。それで、この、家に一番近いコースを急いでいた。
 バイク止めの柵を回り込んで、強風と大雨の中、海岸沿いの道を行こうとしていた留菜の耳に、女性の声が飛び込んできた。
「今日この道を通るのはおよしなさい」
こんな強風の中声がはっきり聞こえるのはおかしいのだが、そのおかしさに気づかないほど動揺していた留菜は声の方を振り返った。そこに居たのは、黒いマントをはおり、赤いリボンのついた黒い帽子をかぶった、留菜と同じ年頃、いやそれともちょっと上だろうか、の女の子だった。マントをはためかせながらその子は言った。
「今日この道を通るのはおよしなさい。今日は日が悪い。古い水の夢どもが海から押し寄せる」
何を言っているのか分からなかったが、急いでいた留菜は
「すいません、急いでいて、こっちの道をどうしても通らないといけないんです」
と返した。
マントの女の子は、少しうつむき加減で、それならとこう言った。
「もしも嫌だと思ったら、すぐに引き返しなさい。そうすればいつでも戻れる」

 傘を風に持って行かれそうになりながら、急ぎ足で進んでいくと、留菜は奇妙なものを見つけた。黒い、円筒形のその物体はアシカかオットセイに似ているだろうか。でもこんなところにそんなものがいるはずない。何だろうと思いながら近づくと、それは身をよじらせてうめいた。「・・・モドリタイ」一瞬そらみみかと思ったのだが、「モ・ド・リ・タ・イ」と確かに発声していた。ひっと驚いて、足を止めたが、ともかく家へ早く着かなければならない。そうっとそれを刺激しないように遠回りに迂回しながら通り過ぎようとした。その瞬間
「モドリタイ!」
と叫んだかと思うとそれの先端が八つほどに裂け赤い口で留菜を噛みつこうとした。 あわてて留菜は走ってその場を去ろうとしたが、驚いた拍子に傘を風に持って行かれてしまった。
 傘にかまっている暇はない、急ごうと思って風にあおられながら走ると、今度は風にのって海の方からなにか聞こえてきた。海のほうを見ると、低い堤の向こうの、テトラポットが幾重にも重なった海岸に、無数の黒い影が揺らめいていた。それらが口々に、「モドリタイ」「カエリタイ」とつぶやきながら、留菜のいる海岸道路の方へとせまってきた。つぶやいている言葉が聞こえるのは、変なのだが、もう恐怖でそこまで頭が回らず、ただただその場を逃れたい一心でびしょ濡れになりながら留菜は走った。
 やっと家まで三分の一まで来たところで、前方に赤い色が見えた。なんだろうと、歩の歩みを休めると、それは、堤のほうから押し寄せて道路を完全に塞いでいるのは、赤いスライム状の巨大な物体だった。泡立ちながら、留菜の方に少しずつせまってくる。そうしてスライムの中から"口"が形成されては口々に「モドリタイ」と叫んでいるのだ。もう進むことも出来ず、かといって戻るわけにも行かなくなった留菜は立ちつくしてしまったのだが、
「後ろを向きなさい」
 という女の子の声を聞いて振り向くと、そこは海岸道路の入り口だった。バイク止めの前に立っていたさっきの女の子は留菜に言った。
「言ったでしょう。今日は日が悪い。古いものが海から還る日。別の道にしなさい」
留菜は訳が分からなかったが、ともかくこの道を行くのはよそうと思い、遠回りだが安全な道へと引き返した。

 無風の明るい日射しの日。海岸道路を留菜は学校へと向かっていた。すると、出口にあの女の子がいた。挨拶しようかどうしようか迷ったあげく、無視することに決め込んだ留菜の耳に女の子の声が届いた。
「包丁の始末はうまくいった?」
ぎくっとして留菜が女の子の方を向くと女の子は少し微笑みながら言った。
「それだけが心残りだったのでしょう? うまくいったつもりならそれでいい」
留菜が硬直していると、女の子は留菜の脇をマントをなびかせ歩いていった。すれ違いざまにこう言い残して。
「でも油断しちゃだめ。誰かが必ず見ている」
留菜は一歩も動けなくなった。風が吹いていた。

 

(2008/12/14)

 

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