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フラン

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「ご主人様、どうぞ」
私はメイドのフランチェスカの淹れてくれたコーヒーを飲む。
「いつもと違う味だね」
「いつもの豆ですわ。変わったのはご主人様の味覚じゃありませんか」
くすくすとフランチェスカが笑う。そう言われればそうかも知れない。
なんだかぼんやりとした頭で考える。
「庭の方の手入れはどうなっている?」
「バーネットさんがいつものように」
「バーネット?」
「ええ。ご主人様、お忘れですか?」
そうだ、庭師はバーネットという名だった、何を勘違いしていたのだろうか。
「ご主人様、コーヒーをお飲みになったら、こちらのお薬をお飲みになって下さい」
「・・・・・・フランチェスカ、これは何の薬だったかな?」
「防腐剤でございます。ご主人様の内臓を守るためにお医者様がご用意なさってくださったものです」
そんなものを飲まねばならぬ病にかかっていたのだろうか。なんだか記憶が混乱している。
「ご主人様、あまりご無理をなさらぬように。病み上がりの体に差し支えますわ」
「ああ」
「わたしはグレダさんと夕食について相談してまいります」

 屋敷を一通り歩いてみる。フランチェスカの言っていたとおり、体力が少し衰えているようだ。何人かの使用人とすれ違ったが、皆一様に頭を下げるばかりで話しかけてはこない。前から見知った顔もいるのだが、どうも混乱しているせいか、初めてみる顔ばかりに見える。
 屋敷の部屋の配置も覚えてはいるのだが、初めて歩くようにも感じられる。図書室、実験室・・・・・・実験室? 何の実験室? 中を覗いてみる。機械部品が整然と棚につまれ、中央の実験台では時計を修理している途中だった様子がうかがえた。病になる前は、機械いじりを趣味にしていたのだろうか。どうも記憶が曖昧だった。実験室を出てさらに先に進む。地下室へ降りる階段があった。ワインクーラーか何かか? だが、地下室の扉には、施錠こそされてないものの、ぐるぐるとチェーンが巻かれ、暗に立ち入るな、と警告しているようだった。私はそれ以上詮索しなかった。

 夕餉のひととき。フランチェスカが脇に控えている。
「病み上がりのご主人様を気遣って、グレダさんがかるいスープ類を中心とした柔らかい食事を作ってくださいました」
気遣いに感謝しつつ食事を頂く。しかし、どうも口にあわない。
「ご主人様、どうかなさいましたか?」
「あ、いや、グレダの腕も落ちたかな、と思ってな」
「ふふふ、グレダさんが聞いたら怒りますよ。多分ご主人様の体調のせいだと思いますよ」
軽い違和感を感じながらも一応平らげる。

「あら、ご主人様、お顔にお弁当がついてますわ」
と、フランチェスカが顔を近づけてきて、軽くついばむように、私の頬にキスをした。私はぎくりとして、フランチェスカを怒鳴りつけた。
「止めないか、使用人が主人に対してする態度か、それが!」
するとフランチェスカは困惑したような顔になって、「ご主人様、覚えてらっしゃらないのですか? わたしとご主人様は恋仲でございましたのですよ」と言った。
 困惑したのはこちらの方だ。そんな記憶は微塵もないからだ。
悲しそうな顔をしたフランチェスカが言う。
「徐々に思い出されると思いますが――出過ぎたまねをして申し訳ございませんでした」
「あ、いや、私もまだ記憶が混乱しているようだ」
記憶の混乱などという奇妙な現象が私に起きているのだろうか。そんなことが起こりうるのだろうか。
「ご主人様、ご気分がすぐれないようでしたら今夜はもう寝室の方へ」 「ああ」

 寝室までフランチェスカがエスコートしてくれる。そういえばそんなこともあったかと思うほど自然な物腰だ。ベッドに横になるとフランチェスカが出て行かない。
「どうした?」
「今晩は眠れそうですか? 子守歌などいかがです? あるいは寝物語などは?」
「いや、いい」
「そうですか、それならば失礼いたします」
 そんな仲だったのだろうか、私とフランチェスカは。病み上がりとはいえこんな大事なことが思い出せないとは。私は目を閉じた。どこからか時計の音がする。

 昼食を食べ終えるとフランチェスカが言った。
「ご主人様、今日のお薬です。必ず飲むようにとのお医者様の厳命ですよ」
食器を片付けるとフランチェスカは食堂を出て行った。しかたない、薬を飲もう。
 薬を飲むと、また記憶が混濁してきたような気がした。

 屋敷内を散歩すると、私は奇妙なことに気がついた。全ての窓が固く施錠されているのだ。近くにいたメイド――アレイシアに尋ねると、無表情にアレイシアは答えた、フランチェスカの言いつけだと。私が窓を開けようとすると、「ご主人様のお体に差し障りがありますから」とアレイシアは開けさせてくれなかった。

 フランチェスカのことを思い出すと記憶が混乱する。ぼんやりとしか世界をとらえられない。ふと思い当たる。あの薬がいけないのだ、あれは飲まないようにしよう。

 その晩。昨晩同様フランチェスカが寝室についてくる。そしてとんでもないことを言った。
「今晩は夜伽などいかがでしょうか」
私は驚いた。確かにフランチェスカは美しいし、二人が恋仲だったというならそういうことがあったかもしれない。しかし、今の私はまだフランチェスカのことをそんな目でみれなかったのだ。
「すまないが一人にしてくれないか」
「そうですか、出過ぎたまねをしてすいません」
フランチェスカはそう言って寝室を出て行った。私はすまない気持ちと同時に、アレイシアの言葉から、ある疑念が湧いて来ていた。ベッドに横になり、目を閉じる。どこからか時計の音が聞こえてくる。

 昼食後。あの薬は飲まずにポケットに隠した。そして、邸内を散歩する。図書室には奇妙な本が並べられている。私の趣味ではないはずだ。いわく『魂の輪廻』『巡る世界のことわり』『手の手術法』。気味の悪さに部屋をそっと出る。
 庭にでも出てみようかと、玄関を開けてみる。玄関は――施錠されていた。どういうことだ? 近くにいたメイド――アレイシアに尋ねる。
「なぜ玄関の扉が開かない!? これでは外に出られないではないか!」
「フランチェスカ様の言いつけで、ご主人様を屋敷から出さないようにとのことです」
「この屋敷の主人は私だ! なぜこんなことをする!」
「ご主人様は病み上がりなのです。本来ならそんなに力を出してもらっては困ります。それに――そもそもこの屋敷の者は外に出たことが無いのです」
「どういうことだ?」
「わたし達はこの屋敷に生まれ、この屋敷で死んでいくもの」
「バーネットは! 庭師の」
「あの方は外の人間ですから。決して屋敷内へは入れません」

 私は駆け出し、窓という窓を開けようとした。だがどれも頑丈に施錠され、ただ外の景色を眺める事が出来るだけだった。疲れ果てた私はその場へへたり込んだ。汗がじっとりとシャツににじむ。気付かなかったが、シャツの上に小バエがたかっていた。

 「ご主人様、ちゃんとあの薬を飲んで頂かないと」 いつの間にか、そばにフランチェスカがしゃがんで気遣う様子で言った。
「フランチェスカ、君はいったい私をどうするつもりだ」
「全てご主人様のためです」
意識が混濁していく。
「ご主人様とわたしのためなのです」
朦朧とした意識の中、かすかに聞こえたフランチェスカの最後の声。

 気付くとベッドに横になっていた。ベッドの脇のサイドテーブルにフランチェスカ突っ伏してかすかな寝息を立てていた。今はいつだろう。どれくらい眠っていたのか。
 フランチェスカを起こさないようにそっと寝室を出る。夜だった。廊下に灯されたランプが唯一の明かりだ。私はこの屋敷で唯一まだ見ていない場所――あの地下室へと向かう。

 音をなるべく立てないようにぐるぐると巻かれたチェーンをはずし、地下室へ入る。

 そこには、液体が満たされたビンが無数の棚に所狭しと並べられていた。

 そのビンの中身は眼球、手首、心臓、胃、脳。

「ご主人様・・・・・・見てしまわれたのですね」
振り返るとフランチェスカが小型の斧を手にして立っている。
「今度のご主人様はうまく出来たと思いましたのに」
フランチェスカは泣いていた。
「なぜ、どうしていつもうまくいかないのでしょう」
ゆっくり斧を上に持ち上げる。
「ま、まて」
と私は焦りながら右手をフランチェスカに突き出した。突き出したはずだった。右手が無かった。
 床にごとりと右腕が落ちている。ひどい腐臭がする。

 フランチェスカが斧をおろす。泣きながら言う。
「手を下す必要もありませんね・・・・・・ご主人様・・・・・・」
 フランチェスカがゆっくりと近づいてくる。私は来るなと叫ぼうとしたが、舌とのどが溶け落ち声が出なかった。後ずさろうとして足がもつれ、膝下から足が腐れ落ち、棚にぶつかってビンを何本も割ってしまう。
 床に散らばる手、足、心臓、肋骨・・・・・・眼球がぎょろりとこちらを睨みつける。
 フランチェスカが私の顔をかかえ、悲しそうに口づけする。唇がずるりと剥ける。
「可哀想なご主人様、今度こそはうまく作ってさしあげます」
フランチェスカの手の中で、私は腐れ崩れ、意識が無くなる。

*    *    *    *

「ご主人様、どうぞ」
私はフランチェスカの淹れてくれたコーヒーを飲む。
「フランチェスカのコーヒーは絶品だな」
「ふふ、ほめても何も出ませんよ。水出しコーヒーという物に挑戦してみたんです」
一息ついていると、フランチェスカがカプセル剤を差し出した。
「お医者様からのお薬です。必ず飲んで下さいね」

(2011/7/19)

 

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