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MARIA, the Eternality

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夕暮れ時。木陰で揺り椅子に座るマリアのもとに子供達がやってきた。

マリアは目を閉じ、何かに耳を傾けていた。

 

「マリアさん、何してるの?」

マリアは目を開ける。

「・・・昔の夢を見ていました」

「昔の夢?」

「ええ、昔、行った場所、そして会った人々のこと」

「どうして」

「時折、思い出さないと、全て忘却の彼方へ消えていってしまうから」

「マリアさんの記憶は無限ではないの? いくらでも容量を増やすことができるんじゃないの?」

「確かに、記録容量を増やすことはできます。

しかし、それはただの記録。記憶とは違います。記録は、無機質なもの。

ただ、そこに"ある"だけのもの。

図書館の奥にひっそりと仕舞われた、誰も読む者のない古い本のようなもの。

誰にも読まれない本は、存在しないに等しいのです。ただ、そこにあるだけ。

けれど、記憶は違います。記憶とは、もっと、有機的なもの。

記憶とは、記録に自分の主観的な感情、行動、反応、応答が複雑に絡み合ったものなのです。

記憶は、ただの事実の無機的な記録ではありません。

有機的に互いに結びついた、ネットワークなのです。

 

「確かに、客観的な事実、記録は、私を中心とした因果関係の光円錐(ライトコーン)の

過去に全て含まれ、今ここに物理的に私を存在させているものです。

しかし、ただの無機的なそれは、物理世界ではない、時間の概念の存在しない

情報世界においては、私とはもはや意味的にかけ離れた、まったく相関のないものに

なってしまうのです。

だから、時折記録を再生して、大切な"思い出"を想起し、情報に重みをつけ、

事象の意味的なネットワークを整理・再構築するのです。

それが、私の記憶、そして私にとっての真実となるべきものなのです。

それは、昔出会った人々との大切な思い出。

街角で、ジャングルで、シリウスで会った人たち。

泣いた顔、笑った顔。生まれる者、死んでいく者。

様々な人々との出会いが今の、ここにいる私を作ったのです。

だから、記憶を再生すること、それは、私が私であることを再確認し、

再び自分を構築することになるのです」

 

子供達が、マリアに「またね」と言ってマリアの元を去った後、

マリアは子供たちを安心させるために構成していたシェルを崩し、世界を見た。

街角、高原、極地、空。全ての場所にマリアは立ち、全ての出来事を見ることができる。

光速を越えて情報を得ることは出来ないが、不死の前では、時間は無意味となる。

マリアの情報世界の中では、過去と未来は現在と同義になる。

百万年先の事象と百万年前の事象を連続した体験とすることが出来る。

マリアの中では時系列が任意に組み替えられ、

全ての演算される可能性が予め目の前に並べられるのだ。

マリアの中では全ての生者と全ての死者が、全ての可能な平行世界の中で生きていた。  

 

マリアは、自分の中に生きている全ての人々に「お休み」を言い、

そして自分を演算している存在に「お休み」を言い、眠りについた。世界を夢見ながら。

 

(2001/3/28)

 

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