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悪夢のはじまり

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 私は歩いていた。私? 私は誰だ? ここはどこだろう。 長い坂の途中、誰も歩いていない道。懐かしい景色。
 私はここがどこなのか知っている。だが私はここがどこなのか知らない。
 私は制服を着ている。セーラー服だ。中学校の制服だ。中学校? 私は下校途中なのだ。どこへ向かっている? 分からない。思い出せない。

「何?」「何なのあなた達」「何するの!」私の前に二人の男が立っている。グレーのスーツを着ている奇妙に個性のない男達。
「我々には君が必要なのだ」「我々と一緒に来てもらおう」何だ、何を言っている、何をしている?
 私には逃れる力がなかった・・・。

 目に映ったのは、天井の螢光燈。
「・・・どうかね、兵藤君、・・・」
「・・・」
「・・・なぜかは私にも分からんよ、ともかく・・・」
「・・・高速再生、生殖、多重制御の試験になら・・・」
「・・・」
「高速培養?」
 細い目をした男が寝ている私の顔を覗き込む。二十代後半くらいの男だ。白衣を着ている。
 手足が動かない。かろうじて口が動いた。
 私は何か言ったのだろうか。

 低く静かな、そして時折思い出したように金属的になる機械音。私の寝ているベッドの周りを手術着を着た人間達が取り囲んでいる。
「麻酔を・・・」
あの男・・・兵藤の声だ。何をする? 何をされる? ここは――。

 浮かび上がる印象の断片。横になっている自分を冷徹に見つめる自分。失われていく自己の形。

「・・・経過はどうだ」
「良好のようです」
「それにしては目覚めないが」
「いえ、もしかしたらもう意識があるのかも」
 私は目を開けた。私は透明な箱に入れられていた。ガラス越しに見えたのは、あの男、兵藤の顔。

「裂傷一を」
痛みが走る。
「再生は?」
「測定不能。0secです」
「次、裂傷二を」
また痛み。
「再生は0.2sec」
「裂傷三」
痛い! 目隠しをされている、何をされているか分からない、左腕が痛い、体が動かない、何かで固定されている。一体、何をしている?
「0.7sec」
「次」
!! 焼けつくような痛み――。
「1.1sec、固定が破られそうです。溶解液も出ています」
「固着剤を。切断まで試験するのだからな、これくらいの痛みで暴れられては困る」
切断――兵藤の声――何を言っている――。
無限に続く痛み・・・。

「展開完了までは0.5secか」
「ただそれは機械的な刺激に対してですから。実際にどうなるかは――」
「それがこれから分かるというわけだな」
 私はベッドに寝かされたまま廊下を搬送されている。延々と白い廊下が続く。やがて運び込まれたのは中に何もない、白い、天井の高い広い部屋。そこへ一人取り残される。意味不明の会話をしていたあの男――兵藤は消えた。私はただ、何も分からず、朦朧とした意識のままそこへ立ちすくむ。
 静かな音を立てて正面の白い壁が開いた。そこから入って来たのは私と同じ歳くらいの全裸の女の子。そこで気付く。私も全裸であることに。しかし何の感情も湧かない。ただぼんやりと目の前の女の子を見つめている。ダレダ?
 ふいにその女の子に変化が起こる。まだ女性としての特徴を十分に表していないそのシルエットが崩れ、変異してゆく。腕、首が伸び、体色が黒く変化してゆく。そして突然私に向かって来た。
 私は動けなかった。ただ、左腕を横に振っただけだった。が、相手は目の前に崩れ落ち、赤い体液を流して動かなくなった。
「実戦でもスムーズに展開できるようだな。しかも予想以上の性能だ」
 背後から兵藤の声がした。私は振り向かなかった。私は自分の左腕を見つめていた。
 私の左腕・・・。そこには、ひじから腕と平行に1mくらいの細長い棒が伸びていた。そしてそれは真っ赤に染まっていた。
「うあああああぁぁぁぁ」
私は絶叫した。

 目の前に男が縛られてイスに座っている。
「さあ、やってみろ」
兵藤が言う。私は右腕を男に突きつけた。音もなく右腕の皮膚がめくれ、そこから無数の触手が発生し、男に向かって伸びる。
「や・・・やめろ、やめてくれ!!」
男の顔が恐怖で歪む。私は構わず触手を伸ばす。やがて触手は男の顔や首に取りつき、そこから男に侵入してゆく。
「やめてくれ――あああやめやめやや・・・」
男は無表情となりその言葉は意味を成さなくなる。
「立たせてみろ」
 背後の兵藤の声。その言葉に呼応したかのように男は縛っていた縄を強引に引きちぎり、両腕から血を流しながら立ち上がった。
 操っているのは私、この男は私のマリオネット。
「上出来だ。もういい」
 私は触手をしまう。糸の切れたマリオネットは崩れ落ちる。
 床に倒れている男を見ながら私はぼんやり考える。違う、操られているのはこの私、私こそがマリオネット。

 私は立っている。私に向かって拳銃がかまえられている。発射音。胸に鋭い痛み。胸が赤く染まる。続けて発射音。更に。だが今度は体にのめり込んだだけだった。右腕の触手がのび弾を傷口から取り出す。痛みは消えていた。私は赤い色を見つめている。何を意味するのかは分からない。ただ不快だった。

 私は拳銃をかまえている。撃つ。的にあたらなかったのが見える。撃つ。命中。撃つ。命中。くり返し。くり返し。

「さあ入れ」  
 兵藤がせかす。私はその部屋に入る。白い、何もない、狭い部屋。これと同じ部屋がこの廊下の両脇に延々と連なっている。部屋と廊下の境にはガラスが入れられている。だがそのガラスには触れない。痛い思いをするだけだ。
 私は奥の長椅子に座り廊下の方を向く。向かいの部屋の男も同じように座りこちらを見ていた。
 私はただ見つめ返していた。

 無限の時が流れるが、記憶は無限ではない。
 意味のある、あるいは意味のない断片だけがかろうじて残っている。
 あるいは、それらはただの夢だったのだろうか。
 だとしたらそれは悪夢。
 私は私ではなくなり、私の体は私のものではなくなった。
 心が動かない。
 感情は消え、情報のみが残る。
 私は――。

”目覚めよ”
誰?
”目覚めよ”
誰なの?
”思い出せ”
思い出す?
”思い出せ”
何を?
”自分が自分であることを”
自分――私?
”自分が誰であるのかを思い出せ”
私――私は誰?
”思い出せ”
私は――分からない――。
”お前に名を与えよう”
私の――名前?
”お前の名は”

 目を開く。ふいに全てが今、この瞬間、この場所、この体に収束する。全ての感覚が取り戻される。全ての認識が現実になる。私は私となった。
 私はどこにいる?
 なぜ私はここにいる?
 今はいつだ?
 私は誰だ?
 私は――私の名はショウコ、”祥子”だ。
 私は目覚めた。

 

(1992/3/29)

 

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