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デスクトップの猫

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 猫を飼うことにした。
 一人暮らしの身では、というものの、生身の猫は飼えない。長期出張などの際の世話が出来ないからだ。
 だから、デスクトップに住まわせることにした。

 ネットの掲示板でこんな掲示を見つけた。
『子猫を譲ります。メス3ヶ月、元気な白猫です』
 画像で見るその子猫はたいそうかわいい顔で、首をかしげてこちらを見つめている。音声ファイルを開けるとかわいらしい鳴き声が聞こえた。

 早速掲示した人にコンタクトをとる。あっさりOKしてくれ、子猫のアーカイヴを送ってくれた。
 わくわくしながら解凍すると、デスクトップの右下に白い子猫が現れた。寝ているその子猫をマウスでちょっとつついてやると、
「みゃ」
と一声ないて、起き出した。

  子猫を眺めてから、実は自分が全然準備をしていないことに気づいた。あわてて猫の寝床やトイレやらをデスクトップにおく。気に入ってくれるだろうか。それ から、えさを購入してきた。えさを皿にうつして目の前におく。けれど、まだおなかは空いていないらしく、えさには見向きもしない。それよりも、マウスポイ ンタに興味があるらしく、一生懸命マウスを追いかけてくる。面白いので目の前でゆらゆらさせると、しっぽをたて、ふーふー言いながらマウスに掴みかかる。 その様子が可愛らしくて、あきずにずっとゆらゆらさせていると、疲れたのか、そのうちうずくまって寝息をたて始めたのでアナログ・グラブをはめて、子猫をそっと抱いて寝床へ入れてあげた。

 ミュアと名付けた その子猫は次第に成長していき、デスクトップをとことこ歩き回るようになった。ある時など、デスクトップにいないのでどうしたのかとあわてて行動履歴を見 ると、LANを伝ってとなりの部屋のノートPCのうえで跳ね回っていたことがあった。こんなに好奇心旺盛だと、そのうちネットを伝って散歩にいってしまう のではないだろうか。心配になって愛好家の集う掲示板に書き込んだら、獣医師にタグプログラムを組み込んでもらえばいいと言われて、獣医師のアドレスを紹 介された。

 獣医にタグのことを相談すると、値段は少々張るが、N-GPSと一緒にタグプログラムを組んだほうがいいと言われた。もう ミュアなしの生活が考えられなかった私は、奮発して獣医の言うとうりにしてもらった。手術は一日で終わるとの話だったが、その一日、ミュアのいないデスク トップが寂しくてつらかった。
 翌日ミュアのアーカイヴが送られてきた。解凍すると、手術の影響かちょっと元気がない。マウスポインタで一生懸命撫でてやった。

  デスクトップからミュアがいなくなってもさほど心配しなくなっていた。N-GPSで追跡すると、近所のPC内にお邪魔していたり、他の猫とじゃれあってた りして楽しく遊んでる様だった。それでもご飯時になるとちゃんとデスクトップの右下に帰ってきていて、「おなか空いたよ」「ご飯のあと遊んでよ」というよ うな表情でこちらを見つめていた。

 ミュアの調子がおかしい。やたらくしゃみをするのだ。明日から出張なのでスリープモードにして出発しようと思っていたのだが、心配なので、ノートPCのほうへ移して一緒に連れて行くことにした。
 打ち合わせのあとの小休止中、ミュアの様子を見ていると、同じく出張してきていた別会社の人がデスクトップを覗き込んできた。
「おや、猫を飼っているんですね」
私はあわてて
「あ、あの不謹慎だとは分かっていたんですけど、仕事のPCにこんなのインストールして、でもなんか調子がおかしいみたいでほっておけなくて」
としどろもどろに答えた。
「はは、私も同じですよ、私の方は実は子犬を飼ってましてね、今はおとなしくフォルダの中で待っている最中ですよ。ところでおかしいというのは?」
私はミュアがやたらとくしゃみをすることを話した。すると、
「アンチウィルスソフトは入れてますか?」
と聞いてくる。もちろんノートPCを組んだときに真っ先にいれたのだが。
「そうじゃなくてその猫ちゃんの方にですよ。猫ウィルスなんてものが世の中にはありますからね」
バカだ、私は。PCには対ウィルスソフトは入れていたのに、猫用の予防注射や対ウィルスソフトは入れてなかったのだ。

 出張から帰ると、またあの獣医に相談した。やはり、軽い風邪らしい。このタイプのウィルスなら簡単に駆除出来るそうだ。処置をお願いして、それからアンチウィルスプログラムも組んでもらった。
「構造解析のために、ちょっと逆アセンブルかけますけどよろしいですか?」
私は獣医のいいなりに、出来ることは全てお願いした。

 メールが来ている。あの獣医からだ。
『処置は全て完了したのでそちらへ送りました。ただ、ちょっと気になる点が・・・直接お話したいのですがよろしいでしょうか?』
 私は何か胸騒ぎを感じて獣医に電話を掛けた。
「あの、何でしょうか」
「逆アセンブルして分かったんですけど、ミュアのDNAは相当痛んでいます。率直にいいますと、寿命がそんなに長くないんです」
私は目の前が真っ暗になった。
「どうして・・・PCの中の猫なのに、寿命が?」
「コピーの度重なる繰り返しと劣性遺伝の蓄積、テロメアの崩壊が起きています。その結果、近日中には」

  私は悲しくなって、ミュアをネットにつながっていないPCの中に入れた。事情が分からないミュアはがりがりとデスクトップをこすってネット内を散歩した がったが、もしも外で寿命がつきたらとか交通事故にでも巻き込まれたらとか心配になってもう家の外のネットには出したくなかった。いいかげんあきらめたの か、ミュアはふて寝を始めてしまった。
 私はミュアに申し訳なく思い、そしてこれまでミュアと過ごしてきた時間を思い、そしてこれからどのくらい一緒にいられるのかと思うと悲しくなり、デスクトップの前で突っ伏してしまった。そしてその日はそのまま寝てしまった。

 ミュアの元気が次第になくなっていくのが分かる。大好きな散歩もさせてもらえず、好きだったツナ缶をあげても見向きもしない。ずっと寝てばかりで、ときどきネットから出たそうな顔をしてこっちを見上げる。私はただミュアの背中をなでることしか出来なかった。

  私はミュアのPCをネットにつないだ。一生出られないPCの中と自由に歩けるネットの中、どっちがミュアにとって幸せだろうかと考えたすえだった。ミュア は始めきょとんとした顔をしていたが、やがてうれしそうに、でも元気なく「にゃあ」と一声鳴くと散歩に出かけていった。

 N-GPSでミュアの後を追跡する。ミュアが元気だったころよくお邪魔していた近所のPC、空きHDD、商店街の中、まるで昔の自分のなわばりを確かめるように、順番に回っていく。
 食い入るようにN-GPSを見つめていた私は隣の部屋のPCの中へミュアが帰って来たことを知って喜んで迎えに行った。でも、そのデスクトップの右下にはミュアはいなかった。
 HDD のどこにもミュアはいなかった。N-GPSは反応しなかった。タグは一回消滅信号を発信して、そして跡形もなく消えてしまっていた。デスクトップのミュア の寝床だけが、そこにミュアがいたことの証になってしまっていた。私は、私は泣いた。生まれて初めて両目から涙が出ていることに気がついた。

 その日から、また私には空虚な生活が始まった。ミュアが来るまえと同じ、淡々と過ごす日々。
 よく缶詰を購入していた店から新製品紹介のメールが来る。私は中身も見ずにゴミ箱へ放り込んでいた。愛好家の掲示板のアドレスはブックマークから消した。ミュアの使っていた寝床やトイレも捨ててしまった。もう何にもなくなった。

 ある日、見知らぬアドレスからメールが届いていた。どうせスパムだろうとすぐ消すつもりだったが、件名が気になった
『みゅあ』
たった一言書かれた言葉だったが、私は胸騒ぎがした。ミュアを飼ってることは誰にも話していなかったし、掲示板でも名前を出した覚えはなかったからだ。
 急いでメールを開ける。本文にも「みゅあ」とだけ書かれていた。そして添付ファイルが添えつけてあった。ウィルスだろうが構いはしない、私はそのファイルを解凍してみた。
すると、デスクトップの右下に子猫が現れた。ミュアそっくりの。
 一緒に添えてあったテキストファイルを開く。
「ミュア、の、子 ばいばい」

 誰が出したメールだろう。差出人は不明だった。ただ、デスクトップの右下で子猫がすやすやと寝ている。本当にミュアの子供なんだろうか。ミュアが出したメールだったのだろうか。

 私はまた猫用の寝床をゴミ箱から引っ張り出してきて、その中に子猫を入れた。きっとこの子も寿命は短いのだろう。けれど、私は最後までその面倒を見てあげようと思った。

 

(2005/2/21)

 

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